朝、目が覚めたら
世界が変わっていた。
act.1
―越前リョーマの場合―
カーテン越しに差し込んでくる朝の光の眩しさに目を細めながら、リョーマは寝ぼけ眼で何気なく枕元の時計を見た。
(え゛っ……寝過ごした!)
気が付くと、目覚ましをセットした時間からもう10分も過ぎている。
今日はエージが迎えに来るから少し早めに起きようと思っていたのに、これじゃいつもの時間だ。うかうかしていると朝練の時間にも遅れてしまう。
リョーマは慌ててベッドから飛び起きようとしたが、ふとあることに気が付いた。
なんだかおかしい。
どこかが違う。
自分の部屋なのにどこかヘンだ。
あの時計……あんなに遠くに置いたっけ?
ベッドだってこんなに広かったかな?
まだ寝ぼけているのかもしれない。
そう思って手で目をこすろうとしてその動きが止まった。
両手が、ふさふさの黒い毛で覆われていた。ぷにぷにとした肉球があって、ちっちゃいながらも鋭い爪まで付いている。
「うにゃ!?(ええっ!?)」
口から飛び出した声は、いつもの自分の声じゃなかった。
びっくりして背中のほうを振り返ると黒く長いしっぽが見えた。軽く左右に振ってみると思い通りに動くし……
「うにゃー!?(なにコレ!?)」
リョーマはベッドの近くにあった鏡の前まで駆け寄ると、恐る恐る全身を映してみた。
そこにいたのは一匹の黒いネコ。
「!!」
リョーマ自身、すこし予想はしていたものの、改めて眼にしてしまうとそのショックたるや……誰かが階段を上ってくる足音や、ましてや部屋のドアをノックする音なんてまったく耳に入ってこない程の衝撃。
リョーマが一人(いやこの場合一匹か?)鏡の前でガーンと落ち込んでいると、いつまでたっても返ってこない返事にとうとう痺れを切らしたのか、ドアの向こうにいた人物が声とともに部屋の中に入ってきた。
「おちび、まだ寝てるの? 遅刻するよー」
そう声をかけながら入ってきたのは菊丸英二。
「にゃ!(エージ!)」
突然の菊丸の登場にリョーマは声を上げて布団の中にもぐりこんだ。こんな姿を誰かに見られたくはなかった。
一方、菊丸はといえばのんきにベッドまで歩み寄ると、まだ寝ているであろうリョーマの布団を強引に引っぺがしにかかった。
「ほら、おちび起きてってば!」
菊丸のその行動に、リョーマも必死に抵抗して布団に爪を立ててしがみつくが、所詮ネコ。菊丸の力にかなう訳もなくあっさりと布団を奪われてしまう。
「あれ?」
無理やり引っぺがした布団の中に、まだ寝ているであろうリョーマの姿はなく、代わりに布団の中から転がり出てきたのは見慣れない黒猫。その黒猫を前に菊丸の口から戸惑った声が漏れる。
「あれっ? おちびは?」
(うわっ……最悪)
ぎゅっとつぶっていた眼をそっと開けて菊丸のほうを伺うと、菊丸はきょろきょろと部屋の中を見回していた。どうやらリョーマを探しているようだ。
(…………)
菊丸のそんな姿を見ながら、リョーマは途方にくれた。
こんな姿を見られたくない。
でも、一人じゃどうしていいのかわからない。
いっその事、全部エージに話してしまおうか……
でもエージは信じてくれるかな……
「にぁ……(あの……)」
「ねぇ、おまえ。おちびどこにいったか知らない?」
リョーマが声をかけたのと、菊丸が話しかけてきたのはほぼ同時。
あまりのタイミングのよさにリョーマは心臓が止まるかと思った。
(エージ、ひょっとしてオレに気が付いてくれるかも)
少しばかりの期待を胸に、リョーマは菊丸の着ているジャージに爪を引っ掛けると、くいくいっと引っ張った。
「ん? なんか知ってるのかにゃ?」
顔を寄せてきた菊丸を誘導して机の上に移動すると、リョーマは開きっぱなしのままで置いてあったノートにカリカリと爪で、
『おれ、
りょーま』
と書いてみせた。
「??」
しかし菊丸は不思議そうな顔でリョーマを見返すばかり。
リョーマはもう一度ノートに、
『えーじ、
きづいて』
と書きながら、必死にしっぽで自分自身を指し示す。
「……ええっ!! ひょっとしてこのネコ、おちびなの〜!?」
素っ頓狂な声を出す菊丸に向かってこくこくと必死に頷くリョーマ。
菊丸は狼狽しながらもリョーマを抱き上げると、顔を近づけて本物のリョーマなのか、といろんな角度からためつすがめつ眺めてみる。
「本当に本物のリョーマ? 何でネコなんかに!?」
泣き声混じりの菊丸のその質問にリョーマが答えられるはずもなく……菊丸の腕の中でただ項垂れるしかできなかった。
「そうだ動物病院! ……っていうかこんな症状、病院に行ってもダメじゃん! 誰か……とりあえず乾か、不二にでも相談して……」
菊丸の言葉にびっくりしたのはリョーマの方。こんな姿、ほかの人に見られたくなんかない。
イヤだ、という意思表示をこめて菊丸の人差し指を軽くかぷっと噛んだ。
「……たっ、大人しくしててよおちび。こんな事態。オレだけじゃどうにもできないんだから」
そう言い聞かせるようにリョーマに言うと菊丸は、リョーマの部活のカバンを自分の荷物と一緒に背負うと、
「とりあえず学校に行こうリョーマ。乾か誰か……こういう事態に対処できるヤツを探そう!」
そういってリョーマを自分のジャージの懐に大事そうに入れてから、学校へ向かうべくリョーマの部屋を後にした。
act.2
―海堂薫の場合―
眼が覚めると、天地が逆さまになっていた。
「?」
海堂は、自分がベッドから転がり落ちていることに気が付くのに、数秒の時を要した。
布団とともに転がり落ちたためだろう、どこも痛くはないが、やけに布団が絡み付いて動きにくい。
なんとか布団から抜け出して立ち上がろうとして、気が付いた。
何でこんなに布団がデカイんだ?
ふと何気なく部屋に置いてある鏡が目に入った。
ビキッ!
布団に絡まった姿勢のまま凍りつく。
鏡には、自分の布団に絡まったままの姿勢で凍り付いている一匹のグレーの猫の姿が……
「にぁー?(何だ?)」
思わず声に出して呟いてから、海堂は慌てて自分の口を手で押さえた。
(どうなってるんだ? 今の声。思いっ切りネコみたいな声だったような……)
自分の口を押さえている手。
これもやはり鏡で見たとおりのグレーの色の猫の手。
訳がわからない。
(夢なのか? いや、夢であってくれ!)
そう願い、海堂は自分の頬を思いっきり張り倒したが、ただ痛かっただけで現実は変わらない。
「ふみぁ! にゃぅ!(なぜだ! 何が起こったんだ!)」
混乱の極みに達しうろうろと部屋の中を駆け回る。
どれほどそうしていただろうか、すこし冷静さを取り戻した海堂の脳裏に、一人の人物の顔が浮かんだ。
(そうだ、乾先輩! あの人ならこんな変な事態にも対処できるだろう……たぶん)
思い立ったら、即実行。とばかりに海堂は家から飛び出すと一目散に学校へと向かって走り出した。
act.3
―桃城武の場合―
桃城は途方に暮れていた。
朝、目が覚めるとなぜかネコになっていたのだ。
しかもちょっと不細工な三毛猫。
(一人で悩んでも仕方がねぇ。とりあえず誰かほかの奴にでも相談して……)
あまりの展開に、なぜか逆に妙に冷静になった桃城であった。
(そうだな……学校の校門前で見張っていれば朝練に来るヤツと会うだろう。しばらく様子を見るか……)
桃城が校門前で見張りだしてからしばらくして、不二と手塚が登校してくるのと出くわした。
しかし二人ともいつも通りで特に異変も感じられない。
その後で、乾が登校してくるのとも出くわしたが、こちらもいたって普段どおりだった。
(もしかして……こんな変な姿になっちまってるの、俺だけか?!)
その後も、何人かの一年生が登校してきたが、皆変わった所はなかったように思う。
だんだん不安になって桃城が校門前で途方に暮れていると、向こうから凄い勢いで走ってくる菊丸の姿が目に入った。
(?)
よく見ると菊丸は、カバンを二つも背負い、懐を大事そうに両手で抱えながら走ってくる。
桃城のカンが、その様子が何かがおかしい、と告げていた。桃城は自分のカンを信じて、菊丸を呼び止めようと菊丸の前へと走り出る。
「うわっ! あぶないなぁ」
急に飛び出してきた三毛猫を避けようと、急ブレーキをかける菊丸。その菊丸が立ち止まったのを確認して桃城が、ひしっと菊丸の胸元へと飛びついた。
「にゃあにゃあ!(エージ先輩、俺っすよ!)」
その桃城の必死の呼びかけに反応したのは、菊丸の懐の中で丸くなっていたリョーマだった。
「うにゃ?(えっ、桃先輩?)」
「どうしたのおちび?」
桃城の言葉を聞きつけて、菊丸のジャージから顔を覗かせた。そんなリョーマの様子に菊丸もあらためて三毛猫へと注意を向けた。
「ににゃあ!(エージ、桃先輩だよこのネコ!)」
「ふみゃあう!(その声は…越前か。なんだお前もネコになっちまってたのか!)」
なにやらネコ同士で分かり合っている様子。
そんなリョーマたちの様子を見ながら菊丸はふと気が付いた。
「ねぇおちび。まさかそのネコもうちの部のヤツ……とか?」
震える指で三毛猫を指す。すると二匹の猫はそろってうなずいた。
「うあぁぁ。なにがどうなってるんだよ、今日は!」
頭を抱えて苦悩する菊丸。
その隣で二匹のネコが心配そうに菊丸を見上げていた。
act.4
―事態収拾?!―
自分とリョーマ。二人分の荷物を背負い。黒猫と三毛猫を胸に抱いたまま、菊丸はとぼとぼと部室へと足を運んでいた。
「これで誰も来てなかったりしたら恨んでやる〜」
なにやら八つ当たりめいたことをぶつぶつと呟きながらグラウンドを横切っていると目の前に不二の姿が……
「不二〜」
菊丸が泣きながら駆け寄ると、
「おはようエージ。どうしたの?」
さわやかに声をかけられた。
「そんなに、のんびりしてる場合じゃないってば〜」
菊丸が不二に泣きついていると背後から声がかかった。
「おはよう。ほかの皆は?」
そういって現れたのは乾。
その乾の胸にはグレーのネコが抱かれていた。
「乾がネコを連れてるなんて珍しいね?」
「あ、ほんとだ」
その不二の言葉に乾は、菊丸の抱いている二匹のネコを指し示しながら、
「英二だって二匹もネコを連れてきてるじゃないか」
その指摘で菊丸ははっと我に返った。
「そうだった! 聞いてよ二人とも!」
「……というわけなんだよ」
「ふーん。これが越前ねぇ…」
黒猫を撫でながら乾。その乾の胸に抱かれているグレーのネコを指差しながら不二が、
「ねえ乾。これが海堂だって言うのはホントの話?」
「ああ、そうらしい。本人がそう主張している」
「ふーん」
三人と三匹で頭を寄せ合って悩んでいると、急に不二が両手をぽんと打ち合わせた。
「わかった! なるほどね。その推理だとこの三毛猫はさしずめ桃かな?」
唐突な不二の言葉。
三毛猫(桃城)はといえばぶんぶんと首を縦に振った。
だがほかの二人。菊丸と乾はなぜ不二がそんなことを言い出したのかまったくわからない。
「わかんないかなー二人とも。リョーマくん、桃、海堂。この三人に共通した出来事が部活の最中にあっただろう? 昨日」
「昨日?」
「なんかあったっけ?」
うーんと頭を悩ませていると、こんどは乾がぽんと手を打ち合わせる。
「なるほどわかったぞ。アレか!」
「そうアレだよ」
「そうか……新しい試みだったんだが、どうやら失敗したようだね」
「……そうだったんだ……とにかく、たぶんそれが原因だと思うよ」
「ねぇ『アレ』ってなんのこと?」
不二と乾で納得したように『アレ』を繰り返すが菊丸には、見当もつかない。菊丸が尋ねると不二が楽しそうに人差し指を振りながらヒントをくれた。
「昨日、練習試合をしたよね。そのときの負けたのがこの三人」
「あっ!」
そのヒントで菊丸もようやくこの騒ぎの原因となる物と、犯人がわかった。
「乾の野菜汁!」
「あたり」
「ってことは、この騒ぎの犯人は乾じゃんか!」
納得したと同時にふつふつと怒りがこみ上げる。勢い込んで乾を責めようとした頃には、乾はもう解毒薬を取りに消えていた。
「ふ〜っ。えらい目にあった」
「…………」
やっともとの人間の姿に戻れた桃城と海堂は、自分の身体の感じを確かめるように、肩を回したり手を握ったり開いたりしている。
「うわ〜ん。おちびーよかったよ〜」
「エージ……重い」
リョーマもやっと元の姿に戻れ、菊丸にぎゅ〜っと思いっきり抱きつかれてわんわんと泣かれていた。
「まあ、とにかく無事に元に戻れてよかったよ」
そんな三人の様子をのんきに眺めていた不二。その後ろから乾がなにやらグラスを手に現れた。
「すまなかったね、三人とも。お詫びのしるしにジュースでもどうだい?」
そういって乾が差し出したグラスには、毒々しいまでのオレンジ色の液体が、なみなみと注がれていた。
「いや、あの……」
「先輩……これって」
「……………」
露骨にイヤな顔をする三人に向かって乾はにやりと笑って言った。
「まぁ、遠慮せずにぐいっと飲んでくれ」
end