「ナニこれ?」
手渡されたプリントをしげしげと眺めてリョーマは思わず呟いた。
「合宿の予定書いたやつに決まってんだろ」
「いや、そういうんじゃなくて、何で学校に泊まるわけ?」
たまたま近くにいた桃城に聞いたが、桃城いわく先生の『趣味』らしい。
何で合宿の場所が学校なんだ?と思わずにはいられないが先生に抗議に行く勇気もなく(いっても一蹴されそう…)仕方がないので取り敢えず納得することにした。
夏休み真っ只中、合宿当日の朝。
学校に集まったテニス部のメンバーは、まず自分達の寝る場所を確保すべく、柔道部の畳を借りて体育館に敷き詰める作業から開始した。夜はここに布団を敷いて寝るのだ。
その作業を終わらせて荷物をまとめて置いてから、本日の練習を開始した。
食事は食堂のおばちゃん達も休みの為、テニス部で自炊をするしかない。部長が各役割を決めて、食事当番などを決めていく。リョーマは運悪く(?)初日の夕飯の食事当番のメンバーの一人に抜擢されてしまった。
初日の夕飯のメニューは『カレーライス』。調理室を借りて買ってきた材料で調理を始める。料理などほとんどしたことのないリョーマだったが、ほかのメンバーの助けもあって何とかまともなカレーが出来た。
大勢でのにぎやかな食事も終わり、後片付けも終わって体育館で各自自由時間をすごしていると、急に乾が全員を呼び集めた。
「全員集合」
わけも分からず取り敢えず乾の前に全員が集合すると、乾はうれしそうにどこからか、長く大きな蝋燭を数本取り出すとこう言い出した。
「さて、合宿といえば付き物の怪談話をしたいと思います」
何人かの顔色がさっと変わった。しかし乾は気にした様子もなく嬉々として体育館の明かりをおとすと、全員を丸く固まらせて畳に座らせその中心に自分が陣取った。蝋燭に火を灯して自分の前に置く。真下から照らす蝋燭の明かりの中に乾の顔がぼんやりと浮かび上がって、はっきり言ってそれだけですでに怖い。何人かはすでに怖がって目をそらしている。
「それでは始めたいと思います。」
何人かの嫌がっている必死な視線をさらりと無視して、乾は声を低くして雰囲気を作りつつ話し始めた。
『これは他校で聞いた話です。
ある学校に、建設してからだいぶん年数のたった古い旧校舎がありました。
その旧校舎の北側の女子トイレにはもっぱら何か出るらしい、と生徒達の中で噂が絶えませんでした。
ある日、あまりにその旧校舎が古くなり、安全性に問題が生じるとして学校側がその旧校舎の取り壊しを決めました。
数日して解体業者がやって来ました。解体業者の人たちは作業を始める前に、ほかに誰か入り込んでいないか、何か持ち出し忘れたものはないかを確認するため全員で手分けして旧校舎を見て回ることにしました。
手分けして見て回っていると解体業者の一人はふと、何か物音がするのに気がつきました。
「野良猫でも入り込んでるのかな?」
彼はそう思い、音のする方へ歩いて行きました。
物音が聞こえた場所で立ち止まるとそこは女子トイレでした。
どうやらその物音は女子トイレの中から聞こえてくるらしく、彼はあまり気にも留めずにドアを開け女子トイレの中に入りました。
トイレの中は窓の外から太陽の光がわずかに入る程度で薄暗く、なんだか不気味でした。
六個ある個室のドアはすべて閉まっていて、物音まったくせずとても静かでした。
不審に思った彼がトイレのドアを良く調べて見ると、すべてのドアに鍵がかかっていたのです。
こんなもうすぐ取り壊しの旧校舎でトイレが満室だなんて絶対におかしい。彼は 誰かのいたずらかと思い一番近くの個室のドアをノックしてみました。
コンコン
コンコン
するとノックがかえってきました。彼はびっくりしてもう一度ノックしてみましたが
コンコン
コンコン
また、ノックがかえってきます。
「誰かいるのか?」
彼は思い切って呼びかけました。すると、少し間をおいて
「あ・そ・ぼ……」
「あ・そ・ぼ……」
と、声がします。彼は怖くなってその場を逃げ出そうとトイレの入り口のドアノブに飛びつきました。
しかしいくらドアノブをひねってもドアが開きません。すると今度は
「花子って呼んで……」
と声がします。彼はますます怖くなってがたがた震えだしました。
「ねえ、花子って呼んで……」
声が焦れたようにまたそう言ってきました。彼はとにかくどうにかして欲しくて言われたとおりに、
「はなこ……」
と言いました。すると
バターン!
六個の個室のドアがすべて開き中からたくさんの手が!!』
『ひぃぃぃぃぃぃっ』
誰かの悲鳴が体育館に響き渡った。リョーマが首を回して見ると後ろのほうの一年生が何人か互いに抱き合いながら震えていた。
「おもしろかった? では次の話を」
嬉しそうに言い、乾は嬉々として次の話を始めた。
その後、乾氏の会談話は二時間にも及んだ。
乾主催の怪談話が終わり、みんなが寝静まって少ししたころ。
「ねえ、おちび……もう寝ちゃった?」
頭までシーツをかぶり思いっきり寝る体勢のリョーマに菊丸はためらいがちにそっと声をかけた。もそっとシーツから顔を出してくれたリョーマは不機嫌そうに菊丸を睨んで視線で「なに?」と問いかけてくる。
(うう゛っ、機嫌悪そー)
思わず怯んだが、こっちも背に腹は変えられない状態なのだ。気合負けしないように心の中でガッツを入れると、菊丸はなんとか言葉を続けた。
「ねぇ、トイレ行きたくない?」
「ヤダ、眠い」
即答されてしまった。リョーマは眠くなると著しく機嫌が悪くなるのだ。
菊丸は負けじと食い下がる。
「ねぇ、いいじゃんいこーよ」
「一人で行ってくればー」
「そんなこと言わずにさ、いこーよ。ねーってばー、おちびー」
あんまり菊丸がキャンキャン耳元で喚くので煩さに耐え切れなくなってとうとうリョーマが折れた。布団から這い出てくると菊丸の前にとりあえず座る。
「行く気になってくれのにゃ?」
嬉しそうに顔を綻ばせる菊丸に向かって、リョーマは冷めた声で一言。
「…………エージ、もしかしてオバケ怖いの?」
うっ、と言葉に詰まる菊丸の様子にそーなんだ、とリョーマが口の中で呟く。と、今度は菊丸が半泣きでリョーマにしがみついてきた。
「いーじゃんか〜。オレだって怖いモンぐらいあるもん」
リョーマの胸元にぐいぐいと頭を押し付けて、さらに強く抱きつく。
「だってだって、乾が悪い〜」
駄々をこねる菊丸の背中をはいはい、と軽く叩いてやりながらどっちが年下なんだか、と思わずにはいられないリョーマであった。
「おちび絶対置いていかないでね〜。絶対だよ〜」
リョーマはまだしつこく言っている菊丸をつれてトイレへ行こうと体育館を出た。
体育館のトイレは故障中のため使用できなかったので、二人は仕方なく校舎のほうに足を伸ばした。
校舎に行くには明かりのついていない真っ暗なグラウンドを突っ切らねばならず、ただでさえ乾の怪談話でビビリまくっている菊丸は怖さを忘れようとしてかどうでもいい話を一人で(リョーマがあまり取り合ってくれないため)延々としていた。
なんとか(と、いうほど長い距離でもないが)校舎の入り口に辿り着くと。取り敢えずそこから一番近いトイレに行こうと、真っ暗な廊下をリョーマが手にした懐中電灯の明かりだけを頼りに進んでいく。
真夜中の学校の廊下はしんと静まり返っていて、自分達以外に人影もなくなんとなく何かが出そうな感じで不気味だ。
窓から差し込む月の光と懐中電灯の明かりしか光源がないため、よりいっそう出そうな雰囲気を盛り上げてくる。
そろそろと二人で廊下を進んでいくとふとリョーマは何かを感じたかのように立ち止まった。慌てて菊丸も立ち止まる。
「えっ、な、なに?どーしたの」
びくびくと辺りを見まわす菊丸にリョーマはしっ、と人差し指を唇に当てて静かにしてくれと示してくる。そうやって黙って立っていると、
こつこつ
足音らしき音がかすかに聞こえた。廊下に響くその音がだんだんと近づいてくる。思わず半分泣き顔になりそうになる菊丸。
その時。
ぽん、とリョーマの肩に手が…
「ひっ!!」
思わず悲鳴を漏らしかける菊丸。だがリョーマは冷静に後ろを振り返ると手の主の顔を確認した。
「よお、越前たちもトイレ?」
そう言ったのは桃城であった。懐中電灯も持たず暗闇で一人たたずんでいる。
声もなく目を剥いている菊丸とは打って変わってリョーマは平然とうなずいて見せた。
「俺も一緒にいっていいっすか?」
どこかほっとした様子で言ってくる桃城に、ぴんと来た菊丸はからかい混じりで問いかけた。
「もしかして、桃も一人でトイレ行くの怖くなったの?」
「懐中電灯の明かりが見えたから、つい追っかけてきたんすよ」
と、あいまい笑って言ってくる桃城。
(やっぱり乾の怪談怖かったんじゃん。怖いの俺だけじゃないモン)
桃城の答えに、菊丸はなんとなく味方を得たような気分になっていた。
二人から三人になり少しだけ心強くなった菊丸は、道すがら桃城とどうでもいい話をずっと続けた。桃城も何か話してないと怖いらしく別段嫌な顔もせず付き合ってくる。リョーマはといえば、早く済ませてさっさと寝たいなぁ、とそんなことをぼんやりと考えていた。
あと少し、そこの角を曲がればトイレ前に出る。そこまで来るともはや安心しきって菊丸達は歩調を速めた。
「みんな待っててね、帰りもいっしょに帰ろ」
「いいっすよ」
などと言いながら菊丸がトイレのドアを開けたその時
『ぎゃぁ〜〜!!』
菊丸と桃城の悲鳴が辺りに響き渡った。
ドアを開けたすぐそこ、リョーマの手にしている懐中電灯に照らし出さされたそれは、ゆらりとそこに立っていた。
真っ白な着物に身を包み、懐中電灯の明かりにその恨めしそうな姿を浮かび上がらせて、ゆっくりとこちらを振り向き……
ダダダダッ!
急にものすごい足音がして、リョーマがそっちを見ると桃城が一目散にダッシュしてもと来た道を逃げ帰っている後姿が見えた。
ぽすん。
今度は足に何かが当たった感じがして下を見下ろすと、菊丸が床にへたり込んだまま腕の力だけで後ずさりしていた。リョーマの足に背中が当たっていて、それ以上後ろへ下がれないのだがそれでも少しでも逃げようともがく。
白い着物の人影はこちらの騒ぎなど無視してトイレからこっちに出て来ようとしていた。さらに恐慌状態になりかける菊丸。リョーマは思わず半眼になると、
「何してるんすか? 乾先輩」
と、冷たく言い放った。
「何だ、越前は怖くないのか」
はっはっはっ、と笑いながら残念そうに言ってくる乾をさらに冷たい目で見つめつつ、リョーマは思わず人差し指でこめかみを揉んだ。
(なに考えてんだこの人……)
わざわざ白い着物まで着込んで、人が来るかどうかも分からない真っ暗なトイレで一人張り込んでいたんだろうか?
痛むこめかみを揉みほぐしつつリョーマは菊丸に声をかける。
「エージ、コレお化けじゃないってば。ほら立って、トイレ行きたいんじゃないの?」
そう言ってやると菊丸が情けない顔でリョーマを見上げて、
「おちび〜、腰が抜けて立てないにゃ〜」
と、涙声で言い返してきた。
思わず漏れたリョーマのため息は、暗い廊下にやけに響いて聞こえた気がした。
end