強い日差しが差し込んできているのが、目を閉じていてもわかった。
(……今、何時?)
がばっと起きて周りを見回すとそこは見覚えのない森の中。
◆◆◆
「え、ここどこ? オレ、てんとう虫君の中で寝てなかったっけ?」
天野銀次はそこまで言ってからもっと重要なことに気が付いた。
「!! ば、蛮ちゃんは? 蛮ちゃん、どこー」
自分と一緒に寝ていたはずの相棒の姿がない。
そばに生えていた太い木に手をついて縋るようにして立ち上がり、辺りをぐるりと見回せば、隣の木の影に見覚えのあるつんつんとはねた黒髪と黒いスラックスをはいた長い足が見た。
その木をぐるりと回りこんで確認すれば、やはりそれは彼の相棒『美堂蛮』のもので……
「蛮ちゃん! 起きてよ蛮ちゃん〜」
蛮の白いシャツの胸倉を掴んでがくがくと激しく前後に揺さぶる。蛮がかけているサングラスがずり落ちそうになるが気にせずにさらに揺さぶり続けると、
「んあ〜? どうした銀次」
寝ぼけたような蛮の声。うっすらと目を開けて、深い藍色の不思議な色をした瞳で銀次の方を見た。
「銀次!」
急にがばっと飛び起きたかと思うと、両手でがしっと銀次の肩を掴んできた。
「蛮ちゃん?」
「お前その頭……」
「えっ?」
驚く銀次をよそに蛮は銀次の頭の少し上の辺りを指差す。頭がどうかしたのかとそっと手を伸ばして自分の頭を撫でた途端、銀次の動きが止まった。
「?」
何かふわふわとした毛で覆われたモノが指先に触れた。もっとよく確かめようと両手で触る。
「! なにこれ!」
それは(自分では見えていないので憶測だが)うさぎの耳のようだった。しっかりと自分の頭から生えている両方の耳。
びっくりして思いっ切り引っ張るとやはりというか何というか、取れない上にかなり痛い。
「蛮ちゃ〜ん」
情けない声を出して蛮の方を振り返ると、蛮が沈痛な表情のまま銀次のお尻を指差した。
「え? お尻?」
無言でうなずく蛮につられるようにそっと自分の尻を撫でる。
ぴしっ。
思わず固まった。
お尻にはふさふさの白い毛の生えた短い尻尾が生えていた。
「なにこれ〜!」
銀次の叫びが静かな森の中に響く。
短い金髪からにゅっと生えた白く長い耳。いつもの白いTシャツと深緑の上着はそのままでその下にはいているハーフパンツのお尻からは短く白い尻尾が生えていた。(どうやって生えているかは不明だが、やはり引っ張ると痛い)そんな自分の姿に思わずパニックを起こして、銀次は頭を抱えてその場にへたり込んだ。
そんな二人を無視するかのように突然、横手にある茂みが揺れた。
次の瞬間。
その茂みから二人のよく知っている人物が飛び出してきた。
「雪彦!」
「雪彦くん!」
飛び出してきた人物は『弥勒雪彦』弥勒一族の末弟だ。
白い丈の長いコートに白いスラックス。メガネをかけたその顔に、優しい笑顔を浮かべている。
「やあ銀次君。こんなところで会うなんて奇遇だね」
メガネの奥の瞳がにこっと微笑む。
その姿に違和感を感じた。
よく見ると雪彦にもうさぎ耳がついていた。
「雪彦くんその格好……」
銀次が指摘するよりも早く、雪彦はおもむろにコートのポケットから懐中時計を取り出すと、
「ああ、もうこんな時間だ。急がないと遅刻するや。じゃまたね銀次君」
そう言って銀次だけに別れを告げて森の奥へと走っていってしまった。
「何だアイツ」
憮然とする蛮。無視されたことが気に食わないらしい。
その横では銀次が一人、たれながらぐるぐると回っていた。
「なんでー? どーして? 雪彦くんまで耳が〜」
そんな銀次の様子にため息をつきつつしぶしぶ口を開く。
「とりあえず雪彦を追いかけてみるか……アイツも姿がうさぎもどきになってたし、何か知ってるかもな」
「うん、そうだね」
蛮の意見に同意して二人は雪彦が消えた方角に向かって走り出した。
◆◆◆
どのぐらい走っただろうか。
森を抜け、所々に木が生えている広い野原に出ても二人は雪彦に追いつけなかった。ずいぶん先に行ってしまったようだ。時折、木の陰から風にたなびく白いコートの裾がちらりと見える。その白いコートの裾が、急にふわっと舞い上がって落ちていくのが見えた。なにかの中に飛び込んだ様なそんな感じ。
二人がそばまで駆け寄るとそれは穴だった。両手を広げたサイズよりも少し大きいぐらいの穴。それが真っ直ぐ下へ下へと続いている。ずいぶん深いのか底はまったく見えなかった。
「どーする?」
「どうするったって……」
顔を見合わせる二人。しかし他に行く当てもないわけだし、仕方がないので思い切って飛び込んでみることに……
「っと……その前にっ、と」
勢いよく穴の中に飛び込もうとした銀次の服を引っ張って止めてから、蛮は何やらそこいらの草むらをごそごそと探った。
「あったあった」
蛮が拾い上げたものは拳大の石。
「まあ、見てろって」
きょとんと不思議そうに蛮の手元を見る銀次にむかってニヤリと笑うと、その石を穴の中に投げ込み……
「! ダメだよ蛮ちゃん」
慌てて蛮の白いシャツを引っ張って止める。石を投げるのを無理やり止めれた蛮は不服そうに銀次を睨む。
「なんだよ銀次」
「そんなの投げて、誰かいたら怪我するじゃん!」
「だから、下になんにもいねぇか確かめようとしてるんだよ」
そうしれっと言い放つ蛮に、銀次はなおも食い下がった。
「でも、少なくとも雪彦くんはいる可能性があるし…」
「アイツなら避けるだろ」
「でも、でも…」
あまりにしつこく銀次が止めるのでとうとう蛮の方がキレた。ぽいっとその辺りに適当に石を投げ捨てると、
「わかったよ…だったらなにもいねぇかテメーが見てこい!」
その蛮の言葉を全て聞き終わる前に、背中に衝撃を感じた。
銀次の視界がぐるっと反転する。
「へっ?」
次の瞬間、銀次の身体は穴の中にまっ逆さまに落ちていった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
長い長い悲鳴だけを残して……
◆◆◆
それは、ずいぶんと深い穴だった。
最初こそ、蛮に蹴り落とされた衝撃でパニックになって慌てた銀次だったが、しばらくするとひたすら延々と穴の中を落ちていくだけの状態に慣れて、暗闇に目が慣れてくる頃には辺りを見回す余裕すら出てきた。
「あ、壁に棚があるや。
あ、あそこには本。
ん? ガラス瓶だ。なんか入ってる……なんか誰かの家の中みたいだな〜」
などとのんきに下から上へと流れ去ってゆく景色をぼけーっと見ていた。他にすることも、出来ることもないのでしょうがない。
(蛮ちゃんどうしたかな……)
穴の外にいるであろう蛮のことを思う。
(後を追って飛び込んでくれたのかな。それとも、オレが戻ってくるの待ってくれてるとか……でも、こんなに深いと自力で上れないしな……どーしよー)
そんなことを考えている間に穴の底が見えてきた。何もしていないのに落下速度が自然とゆっくりになる。
「?」
銀次が戸惑っている間に足先が地面に触れた。身体がふわっと着地する。辺りをきょろきょろ見回していると頭上から落下音が聞こえてきた。
ひゅ〜〜。
どすん!
銀次の身体の上に何か重たいものが落っこちてきた。その衝撃で思わずたれた自分の上に、のんきに胡坐をかいて座っている人物は……
「蛮ちゃん!」
「けっこう深かったな」
よっこらしょ、といいながら何事もなかったかのように銀次の上から退くと、ぐるっと辺りを見回してからすたすたと先にたって歩き出した。
「いくぞ銀次」
「あ、うん!」
その呼びかけに嬉しそうに銀次が続く。
(蛮ちゃん。やっぱりオレの後を追ってきてくれたんだ)
そう思うとひとりでに笑みがこぼれる。
口ではなんだかんだいっても、ちゃんと後を追ってきてくれる。それが嬉しかった。
「さっきからなに、にやにやしてやがんだ」
気持ち悪りぃヤツだな、とこっちを振り返った蛮に指摘され、銀次は頬を両手で押さえて笑いをこらえた。
「なんでもない、なんでもない。さ、先に進もう!」
◆◆◆
延々と真っ直ぐに続く廊下を、二人は並んで歩いていた。
薄暗い廊下に蛮達の足音だけが響く。
「蛮ちゃん誰もいないね」
「そうだな」
特に分かれ道があるという訳でもないのに不思議と雪彦とは出会わなかった。それどころか、まったまくなにも出てこない。
しばらく行くと曲がり角から明かりが漏れていた。
そっと角から顔だけ出して覗いてみると、そこは両側にドアがずらりと並んだ細長い広間。一番突き当たりの壁にはカーテンが掛かっていて、その手前にガラスで出来た三本足のテーブルがぽつんと置いてあった。
「おう銀次、片っ端からドア調べるぞ」
「うん分かった!」
蛮と銀次は手分けしてひとつずつドアのノブを回してみたが、どのドアも全て鍵がかかっていて開かない。
「だめだよ蛮ちゃん。みんな鍵が掛かってる」
「他のトコももっとよく探せ。ここ以外行くとこがないんだからな」
「あ、そっか穴から落ちたんだった」
納得してぽりぽりと頭をかいた銀次を睨みつけてから、蛮は仕方なくテーブルの周りを丹念に調べ、そのテーブルの上に小さな金色の鍵があることに気が付いた。しかし、その鍵はとても小さくてさっき自分達が調べたドアの鍵じゃないとすぐに分かった。
「チッ!」
苛立たしげに舌打ちをしてから、ほかに何かないかと蛮がテーブルの下を覗き込もうとした時、壁のあたりを調べていた銀次の呼ぶ声に蛮は顔を上げた。
「蛮ちゃん、これ見て。ちっちゃいドアがあるよ」
「んあ? どれだ」
「これこれ」
得意そうに銀次が指し示す先にはカーテンが掛かっていて、銀次がそのカーテンをそっとめくると30cmぐらいの小さなドアが出てきた。
蛮はピンときてテーブルの上にあった金色の鍵を取り鍵穴に慎重に差し込んでみる。
かちり。
鍵の外れる音がして小さなドアの鍵が開いた。ゆっくりと指先でドアを押して開ける。
銀次が興味津々にドアの向こう側を覗き込むと、そこには広い庭園が広がっていた。たくさんの薔薇が咲き乱れ、とても幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「うわー綺麗な庭だね蛮ちゃん」
銀次が嬉そうに蛮の顔を見上げたが蛮は渋い顔をしていた。
「? どうしたの?」
「いや……」
銀次の言葉にろくに返事もせず、黙ってポケットから取り出した煙草に火を点けた。
(道があってもオレ達のサイズじゃどう考えても行けそうにない。困ったな……)
蛮が煙草を燻らせつつ腕を組んで考えていると、一人で放っておかれて退屈になったのか銀次が辺りをうろうろしだした。
(蛮ちゃんの考え事の邪魔しちゃダメだもんね。それよりももっと色々見つけてここから出なきゃ)
心の中で力強くうなずくと、銀次はテーブルとその周りをごそごそと調べ回る。
「蛮ちゃん見て見てこんなの見つけたよ!」
蛮の元に走り寄ってきた銀次の手の中には、『わたしをお飲み』と書かれた札の付いた小瓶(赤い色の液体入り)と、『私をおたべ』と書かれた箱(中には小さいクッキーが一つ入っていた)があった。
蛮が小瓶を手に取り調べていると、「あっ!」という銀次の声とともに何かに弾き飛ばされた。
急いで体勢を立て直し、銀次の方を振り向くと……
「うわ〜ん。何これ〜」
ウサギ耳付の銀次がデカくなっていた。
背が伸びたとかそういう意味ではなく。ただそのまんまの姿で三倍ほどに大きくなっていた。(さっき蛮を弾き飛ばしたものは銀次のお尻だったことが判明)
座っていないと天井に頭がつっかえてしまうほどにデカくなった銀次。それをただ呆然と見上げている蛮。
……しばし沈黙。
はっと我に返った蛮が次にしたことは、
「おいこら銀次! テメーいったい何しやがったんだ!」
銀次を怒鳴りつけることだった。
「わかんないよ〜。箱に入ってたクッキーをちょっとかじっただけだもん」
はぁ〜っ。
ガクッと肩を落として深いため息をもらす蛮。
「うわーん。これじゃあもうどこにも行けないよ〜」
泣き出した銀次の涙が、大粒の雨のように蛮へと降りかかる。
しばらく泣きまくった銀次がやっと泣き止む頃には、部屋は銀次の涙で水浸しだった。
銀次の肩によじ登って何とか溺れることを間逃れた蛮は、この事態をどうしたものかと思案に暮れた。
「まずい遅刻だ。公爵さまがお待ちかねだ、さぞやご立腹だろうな」
すると声と共にどこからともなく雪彦が走り出してきた。
蛮が声を掛けようとしたが、その直前にこちらに気が付いてそばまでやってくる。
「銀次君ちょっと見ない間にずいぶん大きくなって……」
雪彦はピントのずれたセリフをはきつつ、そっと銀次の背中を撫でた。するとあっという間に銀次のサイズが元に戻った。
「うわ?!」
「じゃあね銀次君」
銀次の肩から振り落とされた蛮に見向きもせずに、雪彦はまたもや銀次だけに愛想良く笑顔を振りまいてから走り去っていった。
◆◆◆
雪彦が走り去った後を慌てて追いかけて、ふと気が付くと二人は森の中にいた。
最初に目を覚ました森じゃなく、もっと木が密集して生えている森だ。
その森の一角にデカいキノコがいくつか生えていた。ゆっくりと近づいてみるとキノコの上に何か蠢く影が見えた。
「蛮ちゃん何かいるよ」
「もっと近づくぞ」
小声で相談してから二人は忍び足でキノコの影づたいに移動する。横手に回りこんでキノコの上にいる物体を盗み見ると、それは緑色の服(というか青虫の着ぐるみ)を着た笑師春樹だった。
「笑師!」
「ドリフ野郎!」
隠れていることも忘れて思わず指を指して叫ぶ銀次と蛮。
「ん? ああ、誰かと思うたらヘビ野郎はんと銀次はんやないか。こないなとこでどうしたんや迷子かいな?」
ひゃははははっと不気味に笑いながらキノコの上から二人を見下ろす。
その笑師の顔を見た瞬間。
「「!!」」
二人は一言も声を発することなく、申し合わせた様に一目散に逃げ出した。こっちを見た笑師の目は、かなりイッちゃってて怖かった……
◆◆◆
そのままどれぐらい走っただろうか? 息が上がってきた頃、二人は一軒の屋敷の前に辿り着いた。
「蛮ちゃん〜。オレもう走れないよ〜」
ぜーぜーと膝に手をつき息を整える。隣で肩を上下させている銀次の頭の上で揺れるウサギ耳が蛮の目に入った。
(忘れてた……あの耳もどうにかしねぇとな。銀次がよくてもオレが嫌だ!)
銀次自身、『ウサギ耳&しっぽ』という状況にすっかり慣れてしまったのか、最初は動揺していたものの、今ではまったく気にせずに振る舞うので蛮の方もすっかり慣れてきつつあった。だが、ときどき思い出したように無性に気になるのだ。
(ここから抜け出せてもあの耳じゃいい笑モンだ。それだけじゃねぇ……)
「……んちゃん…蛮ちゃんってば!」
自分を呼ぶ銀次の声で、蛮の思考が中断された。顔を上げると銀次の心配そうな顔と目が合った。
「蛮ちゃん……やっとこっち見てくれた」
ほっとした顔で笑う。
その笑顔を見つつ蛮は心の中で、
(そうだな……オレがしっかりしねぇとな)
と、決意を固める。
そんな蛮の心の内など知ってか知らずか、銀次は目の前の屋敷を指差しつつ、
「ねぇ蛮ちゃん。この家でここどこだか聞いてみようよ」
「そうだな他に手掛かりもないしな」
玄関の呼び鈴を押そうとしたが、その前にと蛮が何気なくドアノブに手を掛ける。わずかに軋んだ音をさせてあっさりとドアが開いた。どうやら鍵は掛かっていなかったらしい。
「鍵が掛かってねぇみたいだな。このまま入り込むか」
「えー? 人の家に勝手に入っちゃダメなんじゃ……」
「いいって。気にすんな」
蛮の提案で勝手に屋敷に上がり込む。
屋敷内を物色しながらうろついていると、台所から人の話し声が聞こえた。
「そろそろ出掛ける支度をしたほうが……」
「もうそんな時間か……」
蛮と銀次は聞き覚えのある声におもわず顔を見合わせた。
「蛮ちゃん今の声……」
「ああ、間違いないアイツだ」
台所のドアに手をかけ勢いよく開けると中には、二人の予想通りの人物がいた。
「あれ? 銀次さんと美堂くん? なんでここに……まぁいいや、ようこそ僕の家へ」
「久しいな雷帝」
振り返った花月と十兵衛がそれぞれ挨拶をしてくる。思いのほか落ち着いた対応に少し拍子抜けした。
「よかった。カヅっちゃんと十兵衛はふつうだ」
「みてぇだな」
「何がです?」
銀次の言葉に花月は不思議そうに小首を傾げた。長い髪が花月の動きにあわせてさらりと揺れる。
「そうだ、あのねカヅっちゃんオレ達……」
「花月。急がないと遅刻するぞ」
銀次の声を遮るように、十兵衛が花月を促した。ちょっと席を外すと言って消えていた彼が次に現れたときには、十兵衛は執事の格好に着替えていた。
「十兵衛…なにその格好?」
「何といわれても困るが、オレはこの家の執事だしな」
そうキッパリいわれて銀次は言葉に詰まった。
「銀次さん美堂くん。せっかく来ていただいたんですが僕これから、王女様からクロケーの誘いが来てるから城へ出掛けないといけないんです。それじゃ」
そういうと花月は十兵衛を伴って部屋を出て行ってしまった。
「花月。早く着替えないと……」
「そうだね」
「………」
「………どーする?」
取り残された二人は所在なさげに辺りを見回し、台所の奥。調理場の方にまだ人の気配がすることに気が付いた。
耳を澄ますと楽しげな鼻歌が聞こえてくる。その声は、
「夏実?」
「夏実ちゃん!?」
二人同時に叫んだ。
奥で鍋をかき混ぜているのは『HONKY TONK』のバイト、夏実だった。
「あ、銀ちゃんに蛮さん。どうしたんですか? そんなにびっくりして」
のほほんと話しかけてくる夏実の服装はメイド服だった。
「なんで夏実がここにいんだよ!」
「なんでって……あたしここのメイドだし」
「ば、蛮ちゃん! あれ!」
蛮のシャツの裾をぐいぐい引っ張ってくる銀次に、蛮がどうしたのかとそっちを向いたので夏実もつられてそっちを見る。
銀次の指差す先には何の変哲もないネコ。否,なぜかにやにや笑いをしている。
「気味悪りぃな」
嫌そうな顔をする蛮に夏実が説明をしてくれた。
「そのネコちゃんはチェシャ・ネコっていってね、花月さんのネコなんだよ」
「カヅっちゃん趣味悪い……」
「同感……」
本人がいないからといって言いたい放題である。
「銀次……そろそろ行くぞ」
「次、どこいく蛮ちゃん」
「とりあえずその城とやらに向かうぞ。誰かいるだろ」
二人は夏実に別れを告げて、花月達の後を追う形で城へと向かうべく屋敷を出た。
台所の勝手口から外に出ると、庭の木の上にさっきまで台所にいたはずのチェシャ・ネコがこちらに背を向けて座っていた。
後ろを向いていたチェシャ・ネコがこちらをのっそりと振り向いた瞬間。
「げっ」
「うえ〜っ」
二人の口から呻き声が漏れる。
振り向いたチェシャ・ネコの顔だけが馬車になっていたのだ。(身体は猫のままなのでより一層気持ち悪い……)
その馬車チェシャ・ネコがしっぽをふりふり振りながらのんびりと口を開いた。
「あっちのほうにな」
といい右手を上げる。
「帽子屋が住んどるけぇ。あっちのほうにな」
といい左手を上げる。
「三日月ウサギが住んでけぇ。どっちでも好きなほうたずねたらええが。まあ、ふたりともきちがいだがのう」
それだけ言い残すと左右に振っていたしっぽの方から徐々に消えていき、顔も消えて最後にはにやにや笑いだけがそこに残った。そのあまりの光景に、蛮と銀次はしばらく気分悪げに口元を押さえてうずくまっていた。
◆◆◆
しばらく休んで気分の悪さも何とか収まった二人は、馬車チェシャ・ネコに教わったとおり(?)左手の道を歩き出した。
「ねぇ蛮ちゃん本当にこっちでいいの?」
「まあ、別にあてもねーからどっちでもいいんだけどな。ウサギの家つーから気になっただけだ」
(銀次のウサギ耳を戻す手がかりでもあればラッキーだしな)
そう一人呟く。
「なんかいった?」
「うんにゃ」
銀次を軽くあしらって、すたすたと先に歩いていってしまう蛮に遅れないように銀次も少し早足で歩き出した。
目的地はすぐに分かった。
二軒の家が隣り合って建っていてその手前に親切にも立て札まで立っていたからだ。
その家の前には長いテーブルが出してあり、そのテーブルの上にはお茶のカップがずらりと並べられていた。ティーポットやお菓子もたくさん用意してあったのに、なぜかお茶をしているのは三人だけだった。
「卑弥呼!?」
「士度にマドカちゃんまで!?」
お茶をしていたのは、白いエプロンドレス姿の卑弥呼と、同じく青いエプロンドレス姿のマドカ。それと、シルクハットに燕尾服といった出で立ちの士度だった。
よく見ると卑弥呼の頭には短いウサギ耳が生えている。
「卑弥呼お前まで……」
げんなりと卑弥呼のウサギ耳を指差して呻く蛮に対して、卑弥呼は開口一番。
「あいかわらず騒がしいわね、あんた達。今、お茶の時間なんだからちょっとは静かにしてよ」
冷たくあしらわれてしまった。
一方の士度はといえば、
「ほらよ」
「あ、ありがとうございます士度さん」
マドカのカップにおかわりの紅茶を注いでやっているところだった。
傍で見ていた銀次が思わずテレてたれる程にらぶらぶだ。
「う〜、あの〜っ……」
「士度さん、このクッキーおいしいですよ」
「そうか」
蛮や銀次などまったく目に入ってはいないらしい……
(士度、なんてうらやましい……)
ちょこんとたれた銀次がテーブルのふちにしがみついてジト目でふたりを見上げるが、すでに二人の世界に突入してしまっている士度たちには効果がなかった。
卑弥呼に冷たくあしらわれ、話を聞くどころじゃない雰囲気の士度たちに、
「銀次。ここにいてもしゃーねぇし次いくぞ」
蛮がそういってたれたままの銀次の襟首を掴んでひょいと持ち上げる。
「え゛え゛〜」
蛮にぶら下げられて、銀次は不服そうにびちびちしてみるが襟首をしっかり掴まれているため意味がない。
そのまま銀次をぶら下げた蛮は、お茶会の席を後にした。
◆◆◆
卑弥呼たちのお茶会を後にした蛮と銀次は、いくらも進まないうちに変な木に出くわした。
その木は二抱えほどもあり、その真ん中に木製のドアがついていた。
「なんだこれ?」
「こんだけ大きいと入れそうだよね。開けてみようか?」
銀次がそっとドアノブに触ると内側に向かってゆっくりとドアが開いた。
「あ! ここ見たことあるよ蛮ちゃん」
中を覗き込んだ銀次。その銀次の頭上から蛮もドアの向こうを覗いた。
そこははじめのほうで見た、小さいドアの向こうに広がっていた庭園のようだった。見覚えのある薔薇の木が何本か生えている。それに目を凝らすと向こうのほうに城らしき建物が見えた。
間違いない。
そう確信した蛮は、銀次の襟首を引っつかむと迷うことなくそのドアの中に飛び込んだ。
◆◆◆
見渡す限りの広い庭園。
そのあちらこちらに美しい薔薇が咲き誇っていた。遠くにはやや小さめながらも豪華な城も建っている。
庭園に出た蛮たちは、とりあえず城へと向かって歩き出した。
しばらく行くと、何人かの人影がこっちに向かって歩いてくるのと出くわした。
「ねぇ、蛮ちゃん。あれ雪彦くんじゃない?」
「どれ?」
「あの先頭歩いてるの」
その先頭を歩いていたのは、散々蛮たちが探していた人物。弥勒雪彦その人だった。
雪彦は相変わらず頭に生えたウサギ耳を揺らしながら、時折振り返って後ろの様子を見つつゆっくりとこっちに歩いてくる。
「雪…」
声をかけようとした銀次が急に固まる。
「?」
蛮が訝しげに銀次のほうを見るとその目線がある一点で止まっているのが分かった。
銀次の視線の先をたどり蛮が見たものは……
「波児!」
それは『HONKY TONK』のマスター王波児であった。
顔だけ見ればよく知っている人物。だが銀次が固まったのも無理はない。彼は赤く豪華な毛皮のマントに、金ピカの王冠をかぶっていたのだ。いつもかけているサングラスはそのままだったのでどこかちぐはぐでヘンだ。
声も出せずに二人でその場で立ち尽くしていると、波児のほうも蛮たちを見つけたらしく気さくに手を振ってくれた。
「おー、蛮に銀次じゃねーか」
「…ああ…。波児…」
「ははは…」
ひきつった笑みでとりあえず手を振り返す。
もう笑うしかない。
「なんだお前ら、オレの城に用か? まあちょうどいいさ。あ、ヘヴンちゃんこっちこっち」
突然、後ろを振り返って手を振る。その波児の言葉にぎょっとして目をむけると……
「波児どーしたの? アラ蛮くんに銀ちゃんじゃない」
波児の後から現れたのは、燃えるような深紅のドレスに身を包んだヘヴンだった。金髪の長い髪に飾った黄金のティアラが太陽の光を受けてきらきらと輝いている。
「………」
「…………」
二人は声もなくただぼーっとヘヴンの登場を眺めていた。もはや何を見てもあきらめの心境だ。
「? ちょっとどうしたの二人とも」
いまいち反応のない蛮と銀次にヘヴンが心配して声をかけるが、すぐに話を切り替えてぽんと両手を打ち合わした。
「まあいいわ。それよりちょうどよかった、二人とも参加してくれるわよね」
勝手に話を進めてきたヘヴンの態度にぼーっとしていた二人の頭がようやく動き出す。
「おいちょっと待て! なんだと。参加!?」
「待ってよヘヴンさん。なんにも聞いてないのに急に何?」
口々に異論を唱える二人。だがヘヴンと波児はといえば、
「アラ、分かってて城に来たんじゃないの?」
「そうそう。ちょうど二人ほど人数が足りなかったんだ」
「だからなにが?」
「そうだよいったい何?」
「クロケーの試合よ」
「クロケーの試合だよ」
声をそろえてそう返された。
直後に、波児たちの後ろで控えてた雪彦からタイミングよく説明が入る。
「今日は女王様の提案でクロケーの試合が予定されてるんだよ。参加者がちょうど二名欠席になってさ、困ってたんだ。参加してくれるかい? 銀次君」
蛮を無視し、銀次だけに向かって話しかける雪彦。ぎゅっと両手を握り締められて銀次は困惑した顔で蛮を振り返った。
蛮はといえば、握り締めたこぶしを怒りにぷるぷると震わせつつ、こめかみにはしっかりと青筋を立てていた。
「おいテメー……いいかげんにしとけよ…」
「なにがだい? 僕は銀次君と話しをしてるんだ邪魔しないでくれるかな?」
蛮の押し殺したような声にも物怖じせず、雪彦は銀次の両手を握り締めたままで、さらに蛮を挑発するような発言をした。
「っ!」
(まずい、蛮ちゃんかなり怒ってるよ)
銀次は自分の背筋にひやりと冷たいものが流れるのがはっきりと分かった。
まさに一触即発である。
(何か、この状態を打開する方法を……)
パニック寸前の頭で最善の策を探す。
自分のせいで蛮と雪彦が争うのは嫌だ。例えここが現実じゃないヘンな世界だったとしても、蛮が怪我するかもしれないなんて絶対に嫌だ。
悩みに悩み抜いた末。銀次が出した結論は……
「逃げよう蛮ちゃん!」
言うが早いか、銀次は雪彦の手を振り払って蛮の腕を引っつかむと庭の端の森に向かって全速力で走り出す。
「またね雪彦くん!」
それだけ言い残すと、銀次は蛮を引きずるように三人の前を風のように駆け抜けていく。
その後姿を呆然と見送る三人。
「はっ!」
一番早く我に返ったのはヘヴンだった。
「ちょっと、クロケーの試合のメンバーが勝手にいなくならないでよ、もう! Drジャッカルあの二人を連れ戻して! 今すぐに!」
声を荒げるヘヴンの背後に音もなく現れたのは赤屍蔵人だった。
「クス…。わかりました。すぐにあなたのもとへあの二人を運びましょう。美堂くんと銀次くんを…ね」
赤屍は黒いつばの広い帽子を片手で軽く押さえ、黒いロングコートの裾を翻すと悠然とした足取りで銀次たちが走り去ったほうへとむかった。
◆◆◆
ようやく状況を把握した蛮に自分の足で走ってもらいつつも、銀次はさっきからちらちらと後ろを振り返っていた。ヘヴンの喚く声が聞こえたからだ。
(なんか嫌予感がするな〜)
びくびくしながら走っていると不意に耳元で聞き覚えのある、しかし、できればあまり聞きたくはない声がした。
「こんなところで会うなんて、つくづく縁がありますねえ…GBのお二人さん」
「赤屍さん?!」
「赤屍だと?!」
二人同時にバッと左右に飛び退って背後から突然現れた赤屍と間合いを取る。
「これも仕事ですのでね…出来るだけ私を楽しませてくださいね?」
嬉しそうにメスを取り出す赤屍。その様子に蛮が訝しげに聞き返した。
「仕事だと?」
「ええ、あなた達を依頼人のもとまで運ぶのが今回の仕事なんですよ。…クス」
(蛮ちゃん、依頼人ってヘヴンさんかな? さっき叫んでたし)
(たぶんな)
(どーする?)
(どうするったって相手は赤屍だしな……)
小声でコソコソと相談する二人を黙って見詰めていた赤屍の手が急に動いたかと思うと、二人めがけてたくさんのメスが飛んでくる。
「「!!」」
何とかかわして体勢を立て直したときには、銀次のすぐ前に赤屍が移動してきていた。
「銀次! さっさとずらかるぞ!」
蛮の叫ぶ声が聞こえたが、答えるだけの余裕は銀次にはなかった。
ヒュッ!
「うぁっ」
次の瞬間、赤屍が容赦なくメスで切りかかってきた。かろうじてメスを避け蛮のもとへと駆け出す。
銀次は赤屍から逃げようと懸命に走るが、なぜか急に身体が思う様に動かなくなった。必死に走っているもかかわらず、さっきほどスピードが出ない。
蛮のほうを見ると、蛮はもうずいぶんと先に行ってしまっていた。
「蛮ちゃん待って!」
叫ぶがその声は蛮の耳には届いていようだった。
泣きそうになった銀次の耳に飛び込んできたのは、
「「「銀次くんは逃げずに私を楽しませてくださいね…」」」
左右からステレオで聞こえる赤屍の声。
「?」
恐る恐る振り返ってみればそこには大量の赤屍蔵人がいた。
「! あ、赤屍さんがいっぱい?!」
わたわたとその場を離れようと逃げ出す。
そんな銀次をいっせいに追いかけるたくさんの赤屍。
「ば…蛮ちゃん!」
蛮を必死に呼ぶが、視界を埋め尽くすほどに増えた赤屍のせいで後姿すら見当たらない。
逃げて、逃げて……あまりにも長い距離を走ったためいい加減疲れてきた。
(蛮ちゃん、オレもうダメみたいっす……)
くじけかけた銀次の思考を見透かすように、くんっと銀次の深緑の上着の裾が後ろに引っ張られた。上着を引っ張った腕の主は確認するまでもなく赤屍で……
赤屍に追いつかれた! もうだめだ! と、銀次が思った瞬間。
「うわああああぁぁ!!」
◆◆◆
「…ああぁぁぁぁっ!!」
ゴンッ!
何かが銀次の頭にぶつかった。ばっと目を見開いて確認するとそれは見慣れたスバルの車内の天井……
「ほえ?」
訳が分からずに窓の外を見ると外はまだ暗く、フロントガラスに映った自分自身の顔が見えた。
「! えっ!」
慌てて手で触って確認するが銀次の頭にはウサギ耳はなく、もちろんお尻のしっぽもなくなっていた。
「わ〜い。もとにもどってる〜」
たれて喜びの踊りを踊っている途中。不意にもっと重要なことに気が付いた。
「! そうだ蛮ちゃんは!」
急いで隣の運転席を見ると、握りこぶしをぷるぷると振るわせている蛮と目が合う。
「夜中にやかましいんだよ!」
ゴンッ!
思いっきり殴られた。
「いたーい」
「殴られたってのに、なににやにや笑ってやがるんだ」
ヘンなヤツ。と言い捨てられてしまった。
それでも銀次は頬が緩むのを止められなかった。
(よかった〜。ちゃんと蛮ちゃんもいる。夢だったんだ)
一人で安堵感を噛み締めていると、飛び起きたときに跳ね飛ばしたのであろう自分の上着とともに一冊の本が下に落ちているのに気がついた。
拾ってみるとそれは『不思議の国のアリス』と書かれた本だった。
銀次の手の中にある本に気が付いた蛮が言う。
「おいそれ、夏実のだから破んなよ」
蛮に言われてようやく思い出した。銀次はこれを読みながら寝てしまったのだ。
(そっか、だからあんな夢見ちゃったんだ……)
本を握りしめ、ぼんやりとしていた銀次は気が付かなかった。
二人の乗るスバルの前を、ウサギ耳を生やした雪彦が走り去っていったコトを……
end