想いの欠片

 今にして思えば――その日は、朝からいつもと違う感じがしたんだ。

◆◆◆


 今日は、朝から蛮ちゃんとビラを配ってた。
 ヘヴンさんからの仕事もここんとこないし、なにがなんでもそろそろ仕事しないとね。ツケもたまってるし……。
「おう、銀次。そろそろ切り上げてメシにすっか」
「あ、うん。そーだね」
 オレの名前は天野銀次。蛮ちゃんこと美堂蛮と二人で組んでGetBackersっていう奪還屋をしてるんだ。蛮ちゃんはねどんな人かっていうと――とっても強くて、ちょっと照れ屋で、でも優しくてきれいな人なんだ! っ、て後で殴られそーだけど本当にそー思うんだもん仕方ないよね。特徴といえばつんつんと立てた黒髪かな? あと、とってもきれいな藍色の瞳をしてるんだ。邪眼ってゆーんだよ。んで握力が200sもあるんだ。すごいよねー。
 それで、オレのほうはと言うと、電撃が打てるんだよ。昔は無限城ってトコにいたんだけどね。色々あってさ……まぁそれは置いといて……
 オレ達はビラ配りを切り上げてHonky Tonkに帰ろうとしてたんだけど、急に空が曇ってきた。さっきまであんなに青空だったのになぁ。
「蛮ちゃん雨降りそうだね」
「そうだな。早く帰るとすっか」
 なんてことを言ってる側から、
 ぽつり。
「あ、降ってきた」
 空から雫が落ちてくる。次から次へと降ってくる雨を手にしたビラでしのぎながら曇った空を見上げていると、後ろから控えめな女の人の声がした。
「あの……何でも取り戻してくれるんですか?」
 蛮ちゃんと二人で後ろを振り返ると、さっきまでオレ達が配ってたビラを手にした一人の女の人が立っていた。


「んで、奪還して欲しいモノってーのは?」
 そう話を切り出した蛮ちゃんの前の席には、さっきオレ達に声をかけてきた女の人が座ってる。
 ここはHonky Tonk――とりあえず話だけでもって言うんで、いつものようにここのボックス席で依頼を聞いていた。
 女の人の名前は『朱音(あかね)』さんっていうらしい。真っ赤な長い髪にどこか寂しそうな薄茶色の瞳。それに、臙脂色のスーツを着てる。
「取り戻して欲しい物というのは……指輪なんです。私の彼がずっと大切にしていたもので……誕生日に、それを私にくれると言っていました」
「それを誰かに取られちゃったの?」
 オレがそう聞くと、朱音さんは少し寂しそうに笑うと目を伏せた。
「厳密には少し違うんです。彼は……病気を患っていました。肺の病で……助かる見込みはないってお医者さんに言われてたんです。それでも私は一生懸命看病しました。でも……」
 一瞬、言葉に詰まる。それでもぐっと涙をこらえて朱音さんは話を続けた。
「それで……じつは彼の父親もだいぶ前に亡くなっていて、その借金を彼が肩代わりして返していたんですが……彼が死んでしまったのをいいことに、借金の取立てだと言って業者に土地ごと家を差し押さえられてしまったんです。彼に聞いた話ではそんなに多額の借金じゃなかったはずなのに……それで私、なんとか彼の家を返してもらえないかと思って業者のところへ行ってみたんですが、まったく取りあってもらえなくて……」
「それでさっき言ってた取り戻して欲しい指輪って?」
 肝心の指輪の話がいっこうにでてこなくって、オレは思わず口をはさんだ。
「あ、ごめんなさい。その……取り戻して欲しい指輪なんですけれど、彼の家の中にあるはずなんです。場所まではわかりませんが……」
「それじゃオレらは、朱音さんの彼氏の家からその指輪を持ってくればいいの?」
 確認するように聞くと、彼女はこくりと頷いた。
「はい。家具や調度品はまだ彼の家に残ったままなんです。何でもごたごたがあって運び出す作業が進まなかったとか……お願いします! 彼の形見の指輪をどうか取り戻してください!」
 そういって頭を下げる朱音さんはとっても必死に見えた。
「おうまかしとけ。なんたってオレらは無敵の奪還屋だからな」
 そういって蛮ちゃんがにかっと笑ったのを見て、朱音さんはほっとしたように表情を和らげた。
「お願いします。それで、その……ワガママだとは思いますが明日までに取り返してください。明日のこの時間にまたここに来ます」
 そう言ってオレたちに向かって深々と頭を下げると、朱音さんは席を立つ。
 店の入り口まで彼女を見送りにでたオレは、傘も持たずに店から出て行く彼女の後姿が見えなくなるまで見送った。
 外は、さっき降り出した雨が霧雨になってまだ降り続いていた。

◆◆◆


 ――その日の夜。
 昼間降り出した雨は今もまだ続いていた。
 空気が湿気てべたべたする。狭いてんとう虫君の中じゃ余計それを感じちゃうよ……隣の蛮ちゃんもなんとなく鬱陶しそうにしてるし。
「蛮ちゃん、そろそろ中入る?」
「そうだな。人もいねーし」
 そうオレ達は今、朱音さんの彼氏の家(だった所)の前にいるんだ。
 昼のうちに色々調べることも済ませて(ほとんど蛮ちゃんが一人で準備してた。あとヘヴンさんにもちょっと手伝ってもらったけどさ)夜を待っていざ侵入っていうところ。
「さて。けっこー広い屋敷だな……どっから手付けるかな」
「あっ! ねぇ蛮ちゃん。見取り図ってやつ見る?」
 オレの言葉に蛮ちゃんがびっくりしたように振り返った。
 ? なんかヘンなこといったかな?
「何で銀次がそんなモン持ってんだよ」
「え? ああこれ。朱音さんが帰る前に書いてもらったんだ」
 少し自慢げに言ってみる。本当はマスターがそうした方がいいってこっそり教えてくれたんだけどね。
 だけど蛮ちゃんには内緒。
「ふーん」
 オレから見取り図を受け取るとそれに目を通しながら蛮ちゃんがぼそりと呟くのが聞こえた。
「どーせ波児とかの入れ知恵だろーけどな」
 う゛っ、バレてる……
 そんなオレを無視して蛮ちゃんは難しい顔で見取り図とにらめっこしていた。
「ひー、ふうー……の、10室もあんのか。ま、フロ場や台所なんぞに指輪はねーだろうけどな」
「で、どこからいく?」
 気を取り直してオレが聞くと、
「とりあえず1階からしらみつぶしだな」
 と答えて見取り図をたたんでズボンのポケットに突っ込むと、てんとう虫君から出た。


 ぎぎ〜っ。
 軋んだ音を立てて玄関の扉が開く。
 ちなみに鍵は、ここを差し押さえてるって人のトコに昼間にこっそりと忍び込んで拝借してきた。
 薄暗い玄関ホール。でもまだ電気は通じてるらしく、手探りでスイッチを探し出して入れると明かりが点いた。
「電気が通じてるな……いつから差し押さえられたんだ? ここ」
「さあ?」
「…………」
 蛮ちゃんのその問いにオレが答えられるはずもなく。聞いた俺が馬鹿だったよ、といわんばかりの態度で蛮ちゃんがさっさと歩き出した。
「…………あっ、待ってよ〜」
 ちょっとだけ、落ち込みかけたけど今はそんな場合じゃないもんね。オレはふるふると頭を降って気分を切り替えた。さあ、指輪探し開始だ! と意気込んで入った玄関ホールの中は大広間ってゆーのかな? 階段があってその上は二階まで吹き抜けになってる。その階段のほかに部屋が5部屋。とりあえず行くしかない!
 蛮ちゃんが正面にあった両開きの大きな扉に手をかける。
 きぃ〜っ。
 鍵はかかってない。扉もスムーズに開いたし、建物が古い割にはそんなに痛んでないみたいだって蛮ちゃんは言ってた。
 そっと中をうかがうとそこはダイニングルームだった。
 大きなテーブルと椅子が幾つか並んでいる。ぐるっと周りを見回すと壁に掛けられた大きな肖像画が見えた。
「蛮ちゃん絵がかかってるよ」
「ああ、昔、ここに住んでたヤツの肖像画かなんかだな」
 ふーん。とオレが絵を見てるとその絵に描かれてる女の人――赤い服を着たおばあさんなんだけど――と、目が合った。
「…………えーと」
 間違いない。こっち見てるよ……だってさっきまでその絵のおばあさん、入り口の方を見ててオレと目なんて合わなかったもん。
「ば……蛮ちゃん。絵が……」
 すぐ前にいた蛮ちゃんの着てる白いシャツの裾を引っ張って必死に訴える。
「絵がどうしたって?」
 振り向いた蛮ちゃんにオレは絵を指差しながら必死に言った。
「目、目が動いた! おばあさんがこっち見たんだ!」
「はあ?」
 おもいっきり呆れた声。
「絵が動くわけないだろ。んなもんガキだって知ってるぞ、不可思議な事が起こる無限城じゃあるまいし」
「そ、そうだけど……でも本当にこっち見たんだって」
 オレの訴えに蛮ちゃんは、
「明かりの加減かなんかだろ。目の錯覚だって」
 と、さらりと流して「ほら、次行くぞ」といって部屋を出て行ってしまった。
「待ってよ蛮ちゃん」
 オレは慌ててその後を追った。
 一階の残りの部屋は、調理場、風呂場、メイドの部屋――だろう。だってベッドとクローゼットの中にメイド服がかかってる他は特に何にもなかったもん。あと居間があった。居間はさすがに二人でしらみつぶしに探したけど何も出てこない。
「うーん。ないね指輪」
「あとは二階だな」
 そういって二階に続く階段を上がる蛮ちゃん。
 その後をついて行こうとしたオレの視界の端――吹き抜けから少し見える二階の廊下の辺りかな? ちらっと人影が見えた。感じでいくと男みたいだったけど……
「?」
 蛮ちゃんのほうを見ると蛮ちゃんは気づかなかったみたい。変だな蛮ちゃんが人の気配に気づかないなんて?
「何やってんだ、とっとと来いよ銀次」
「あ、うん」
 呼ばれてオレは慌てて二階へと階段を駆け上った。
 二階はまっすぐに伸びる廊下の両脇に扉が五個。あと、廊下の突き当たりに全身鎧を着たモノが剣を掲げて立ってた。
 アレなんだろう? 蛮ちゃんは知ってるのかな?
 朱音さんに書いてもらった見取り図では廊下の一番奥の部屋が彼氏の寝室らしい。ここも見落としがあったら困るし、全部の部屋を覗いてみることにした。
 オレは近くの扉に手を掛けてそっと開け中をうかがう。そのオレの頭越しに蛮ちゃんも中を覗き込んだ。
 中は客室みたいだ。ベッドとクローゼット。それに小さな三本足のテーブルと椅子がひとつ。あと壁際のチェストの上には空っぽのガラスの花瓶が置いてあった。
 オレが部屋の中に足を踏み入れようとした時、
 がしゃん。
 何もしてないのに花瓶が勝手に落ちて、破片が辺りに飛び散る。
「蛮ちゃん! 花瓶がひとりでに落ちたよ!」
 オレがびっくりして振りかえると蛮ちゃんはたいして驚いた様子もなく、
「扉を開けた衝撃で落ちたんだろ?」
 そのままずかずかと中に入って指輪を探し始める。
「ねえ蛮ちゃん。オレ思うんだけどさ……ここ、もしかしてオバケが出るんじゃ……さっきからなんか変だし! だから作業がはかどらなかったんだよきっと!」
 びくびくしながら言うと蛮ちゃんはこっちを振り返って聞いてきた。
「なんだ銀次。お前幽霊が怖いのか?」
「だって、オバケってさ……電撃食らわしても、蹴っても殴っても倒せないんでしょ?」
 オレの返事に、蛮ちゃんはしばらく何も言わず――頭が痛そうに目をつぶってじっと指でこめかみを押さえてた。
 あれ? オレなんかヘンなこと言ったかな?
「あのなぁ銀次……幽霊ってゆーのは戦って倒すモンじゃねーの。あれはだな、この世に思い残したことがあって死んだ人間が、成仏できずに化けて出たもんなんだよ。要するに実体がないの」
「……そーなの? じゃあ倒すにはその『思い残したこと』ってゆーのを解決してあげればいいんだね!」
 オレの両肩をつかんでぐったりと疲れたように蛮ちゃんが言った。
「……銀次。頼むから『倒す』ってとこからはなれてくれ」
「うん?」
「………………」
 気を取り直して指輪の捜索。でも、結局この部屋にも指輪はなかった。
 あとは同じ造りの客室がもうひとつと、本がいっぱいある部屋、それから色んな物が詰まった物置。ココがいちばん探すの大変だったよ。ぐちゃぐちゃに色んな物が置いてあって足の踏み場もないぐらいなんだもん。
 探しまくったけど結果――収穫はなし。
 最後の望みをかけて朱音さんの彼氏の寝室に行こうとしたとき、廊下の突き当たりで物音がした。
 がしゃん。
 見るとさっきの全身鎧着たモノが剣を構え直しているのが見えた。
「うっ! 蛮ちゃん。今、あれ動かなかった!?」
「そーか? どっか金具でも緩んでたんだろ」
「で、でも――」
 まだ言い足りないオレを残して、寝室の扉を開けてひとりで中に入ってしまう。
「まっ、待ってよおいてかないで」
 こんな動く鎧と一緒になんか居たくないよ!
 慌てて部屋へ駆け込む。
 中は、ほとんどさっき見た客室と同じ造りだった。ベッドとクローゼットとチェスト。あと小さな机と椅子。
 先に指輪を探してた蛮ちゃんを手伝おうとして、俺の動きが止まった。
「!?」
 ベッドの上に男の人っぽい人影がぼんやりと浮かんでいる。明かりを点けているのに何故かこの部屋だけやけに薄暗い――暗すぎて誰だか認識することは出来ないけど確かにそこに人影があるんだ!
「蛮ちゃん! あそこ見て!」
 今度こそ目の錯覚じゃないよ。だってまだベッドの上に人影があるままだもん。
「何だ? 何かいるのか?」
 オレの指差すほうをしげしげと見て蛮ちゃんは首を傾げた。
「え? ベッドの上に人影が浮かんでるじゃん。ほら!」
 オレの言葉にもう一度その場所を見てくれたけど、やっぱり蛮ちゃんには見えないらしい。がっかりしてると人影が机の方へすーっと漂っていって、その場でふっと消えてしまった。
「ば、蛮ちゃん……机の辺りで消えちゃったよあの人……」
 思わずひきつった声が出た。蛮ちゃんはオレの言葉に何か感じるものでもあったのか、急に机の周辺をごそごそと探しだした。鍵の掛かった引き出しは握力200sの右手で無理やり壊して中を覗く。
 いいのかなぁ? 勝手に家の中の物壊しちゃって……
 開けた引き出しの中には一冊の日記帳と鍵が入っていた。
 その他は、部屋も全部探したけど結局なんにもなくて、仕方がないのでその日記帳を見てみることにした。ほんとはダメなんだけどね。勝手に人の日記とか見るのって。
 ぱらぱらとページをめくって蛮ちゃんが中にざっと目を通す。
 日記にはこんなことが書かれていた。

     △月×日
     今日は体調もよかったので仕事がはかどった。
     あの日までに元気になれるといいのだが。
     △月○日
     そろそろ約束の日だ。
     あいつに見つかるとちょっとまずいので裏の離れの方に移す。


「けっこう前の日付だな……」
「これって朱音さんの彼氏のかな?」
「だろーな」
 二人して頭を寄せ合って日記を読んだ。
「まっ、とりあえず。ここに書いてある『裏の離れ』ってのを探すか」
「そーだね。じゃあ庭に出ようか」


 庭はまったく手入れをしていないせいか荒れ放題だった。
 蛮ちゃんが持っているライターの炎の明かりだけを頼りに伸びた雑草を掻き分けて庭の裏手に回りこんでみると、日記に書いてある通り離れっていうのかな? 小屋っていう感じの建物がひっそりと建ってた。
 蛮ちゃんが寝室で見つけた鍵を差し込むと『カチリ』と小さな音がして入り口のドアが開く。
 部屋の中は本棚と机。あといろんな本やノート、紙の切れ端が散乱していた。
 どうやらあんまり片付けてないみたいで足の踏み場もない。とりあえず中に入ったけど、どこから探せばいいのやら……
「しゃーねーな。おい銀次、片っ端から探すぞ」
「うん」
 蛮ちゃんの言葉に頷いてオレも探そうとした時、部屋の隅がゆらっと揺らいだかと思うと、そこに男の人が立ってた。
 男の人は青いぴしっとしたスーツ姿で、緑がかった黒髪に黒い瞳をしていた――多分……なんで多分かって言うと、その人、後ろの壁が見えるぐらい透けてるんだもん。もーすっごい驚いたよ!
「ば,蛮ちゃん! 見てあそこ!」
 オレは必死で蛮ちゃんのシャツを掴んで叫んだ。
「今度はどうし……」
 蛮ちゃんは振り返ってオレの指差す方を見て――そのまま固まった。
「………」
「………見えた? 蛮ちゃん」
 固まったままの蛮ちゃんに恐る恐る声をかけてみる。
「あ、ありゃマジで……幽霊だな」
 絞り出すような声で答えてくれた。よかった今度は蛮ちゃんも見えたんだ――なんて思ってたら、か細い声が聞こえた。
「  」
「銀次なんか言ったか?」
「オレじゃないよ?」
 オレ達が顔を見合わせていると、急に幽霊の男の人が自分を指差して口を動かした。またか細い声がする。
「     」
 どうやら幽霊の男の人の声みたい。でもか細すぎて全然聞き取れない。
 首を横に振ってあげると、その男の人は悲しそうに頷いて今度は自分を指差してから、次に机の一番上の引き出しを指差した。
「なんかあるのかな?」
「開けてみりゃわかるって」
 そういうと蛮ちゃんはおもむろに引き出しを開けた――鍵は掛かってない。
 中には几帳面な字で『朱音へ  蒼(そう)より』と書かれた一通の手紙と、小さい小箱が入っていた。
 蛮ちゃんがその小箱の蓋をそっと開けると中からハトの血のように赤い石のはまった女性物の指輪が出てきた。
「これって……」
「ああ、たぶん依頼の品だろうな」
 その言葉に蛮ちゃんも頷いてくれた。
 オレは慌てて指輪から顔を上げると幽霊の男の人のほうを見た。その男の人は満足そうに微笑んで頷くと、ゆらっと揺らめいてそのまま消えてしまった。

◆◆◆


 ――約束の日。
 その日も朝から雨が降り続いていた。
「今日も雨か」
「ま、天気ばっかりはしゃーねぇよな」
 オレと蛮ちゃんは雨のためビラ配りにも行けず、ただぼーっと昼までHonky Tonkで時間を潰していた。昼過ぎには依頼人の朱音さんが来るはずだった。
 カランカラン。
 ドアが開く音がしてそっちを見ると昨日と同じ臙脂色のスーツ姿の朱音さんが立っていた。
「あっ、いらっしゃい」
 オレが手を振ると朱音さんはオレ達がいるボックス席へと歩いてくる。途中でマスターに会釈して席についた。
「あの……それで指輪は?」
 朱音さんの言葉に蛮ちゃんはポケットからあの小箱を取り出した。
「これだと思うんだが、ま。確認してくれや」
 震える指でそっと蓋を開ける。
「!」
 朱音さんの顔に喜びと……あと、なんとも言えないものの混じった、そんな表情が浮かんだ。
「……こ、これです。ありがとうございました」
 そう言って深々と頭を下げる。
「それで、だな……」
 言いにくそうに蛮ちゃんが言葉を続けるより早く、朱音さんがスーツのポケットから小さい小箱を取り出した。
「あの、現金でなくて申し訳ないんですけど、これを依頼料として……」
 そういってテーブルにその小箱を置く。
 蛮ちゃんが小箱の蓋を開けると中から深い青色の石のはまった男物の指輪が出てきた。
「これは?」
「石は本物です。そこそこの値段で売れると思います」
 オレの問いに、朱音さんがそんなことを言った。
 そういう意味じゃなかったんだけど……
「えーと…………」
 ぱちんっ。と音がしたかと思ったらふうっと紫煙が吐き出される。横を見ると蛮ちゃんが煙草に火を点けたとこだった。
 しばし煙草を吸ってから蛮ちゃんはおもむろにポケットから封筒を取り出した。
 ――あの手紙だった。
「これな、その指輪と同じトコにしまってあったんだ」
 そっとテーブルに手紙を置く。
「アンタ宛だ」
 朱音さんの目が見開かれるのがわかった。震える手で手紙を取りそっと封を開ける。

     『朱音へ
      いつも迷惑ばかり掛けてすまない。
      もし、俺の病気が治ったら、俺と結婚して欲しい。
      この母さんの形見の指輪をその約束の証として君に送る。
                                        蒼  』


 手紙を持つ朱音さんの指先に力が入った。
「蒼……私、わたしも……っ」
 呟いた朱音さんの瞳から涙があふれる。
 ぽろぽろと涙を零して泣く彼女の姿にオレはなんだか胸が締め付けられるような感じがして、その光景をただ黙ってじっと見てた。蛮ちゃんも何も言わずにただ黙って煙草を燻らせていた。
「………………?」
 しばらくして、その異変に気が付いたのはオレが最初じゃなかったかな?
 朱音さんが……彼女の姿がだんだん薄くなっている? 朱音さんの向こう側にあるHonky Tonkの壁が透けて見えた。
 そして朱音さんが涙を零すたびに、どんどんその姿が朧気になって最後にはぼんやりとしか見えなくなってきた。
 じっと見詰めていたオレと目が合う。
「本当にあり…が…とう」
 最後にそう言って、すっごくきれいな透明感のある笑顔だけを残してゆらり、とその姿はオレ達の前から消えてしまった。
 テーブルの上に、朱と蒼の指輪だけが残されたまま――


 ――しばらく、誰も口をきかなかった。
 多分その姿が見えていたであろう蛮ちゃんや、マスターも一言もしゃべらなかった。
「………………」
 そっと手が伸びて青い石の入った指輪が持ち上げられる――蛮ちゃんだった。
 蛮ちゃんは指輪の裏側をしげしげと見てからオレの手の平に指輪を乗せて「見てみろ」と視線で促した。
 言われたとおりに指輪の裏側を見ると、そこにはローマ字で『SOU』と彫られてあった。
「多分、朱音もこれを蒼にやるつもりだったんだろう」
「うん……そうだ……ね」
 そこまで言って、急にのどの奥に込み上げてくるものにオレは言葉を詰まらせた。
「……っく……」
 ただ切なかった……オレが、オレなんかがどうすることも出来ないことで……それでもどうにかしてあげたかったんだ……。
 朱音さんも蒼さんも、死んでしまってなお、相手のことを想い続けた。伝えたかった想いと、伝えられなかった想い……それが痛いほど感じられた。
 下を向いて必死に泣くまいと我慢していると、
 ふわり。
 と、白い物が視界いっぱいにひろがった。それと、後頭部に感じる優しい手。
 それが蛮ちゃんのシャツで、蛮ちゃんがオレの頭を抱き寄せたのだと気が付くまでに時間がかかった。
「蛮ちゃん?」
「泣きたいときは泣けばいい。肩ぐらい貸してやる」
 優しい声。
 オレは素直に頷くと蛮ちゃんの肩に顔を押し当てて声を殺して泣いた。
 泣いて、泣いて。いったい身体の何処にこれだけ涙があるんだろうと思う程に泣いた。
 その間ずっと、蛮ちゃんはオレの頭を優しく撫で続けてくれた。
「……なぁ、銀次」
 少し落ち着いてきたとき、蛮ちゃんの声がした。
 顔を上げてそのきれいな横顔を見上げると、
「朱音。嬉しそうに笑って逝っただろ。きっと手紙に込められた蒼の想いが伝わったんだ」
 だから、もう泣くな。ってそのきれいな藍色の瞳が笑った。
「うん……そうだね。きっと天国で会えるよねあの二人」
 赤くなった目でオレもにぱっと笑って見せた。
 外が明るくなってきた。どうやら、雨が上がったらしい。
 窓から差し込む光をうけて、テーブルの上に残された持ち主のいなくなった朱と蒼の指輪が微笑むようにきらりと輝いた。


end