イタズラを仕掛けよう
〜事の始まり編〜

 カラン、カラン。
 いつものようにドアを開けて店に入ってきた蛮は、カウンター内でなぜか皿洗いをしている銀次を見つけた。
 泡だらけの手で汚れた皿と格闘している相棒に向かって、蛮は呆れた様子で声をかける。
「なにやってんだ銀次?」
「あ、蛮ちゃん!」
 その蛮の声に、銀次は洗い物をする手を止めて嬉しそうに顔を上げた。
「あ、いらっしゃい蛮さん」
「おう」
 あいさつをしながらとりあえずいつものカウンターの席を陣取って腰を下ろす。夏実にコーヒーを注文してから奥でのんびりと新聞を読んでいる波児に視線を向けると、
「それであれは何だ?」
 立てた親指でいまだにせっせと――ただし、危なっかしい手つきで――皿を洗っている銀次を指し示してたずねる。
 すると、波児ではなく夏実が事情を説明してくれた。
「将棋であたしに勝ったら食事をおごってあげるっていう賭けをしたんですよ」
「……で、みごとに負けたわけか」
「うう……」
 ジト目で相棒の方を見ると、銀次はしくしくと泣きながら皿を洗っていた。
「ったく。毎回ボロ負けしてんだから、ちったぁ学習しろよな」
 夏実が持ってきてくれたコーヒーに口をつけつつ文句をたれる。
「おい銀次。皿割んなよ」
「わかってるって」
 そんな波児と銀次の会話を聞くともなしに聞きながら、蛮はコーヒーを一口すすった。


 ――その異変は、何の前触れもなく唐突にやってきた。
「どわっ!」
 蛮がヘンな声を上げたかと思うと、突然銀次の視界から蛮の姿が掻き消えたのだ。
「蛮ちゃん!?」
 びっくりした銀次が、まだ洗い途中だった皿を放り出してカウンターから身を乗り出して向こう側を覗き込む。その視界に飛び込んできたものは――
「熱っー」
 イスから転げ落ち、頭からコーヒーをかぶった蛮の姿だった――のだが……
「ば、蛮ちゃん……」
 その光景に思わず絶句する銀次の後ろをすり抜けて、カウンター内にいた夏実がタオルを片手に蛮のもとへとかけよる。
 そして床の上に座り込んだ蛮の姿を見た途端。
「わー、蛮さんかわいい!」
 持っていたタオルを両手で握り閉めて夏実が声を上げた。
「は? かわいい?」
 夏実のセリフに自分の身体を見下ろしてみた蛮は、異変の正体に気付いてぎょっとした。
「なっ!?」
「蛮ちゃん……なんか、ちっちゃくなってない?」
 銀次の言葉どおり蛮の身長は銀次の胸ぐらいの高さになってしまっていた――身長が低くなった、というよりは子供へと時間が逆戻りしてしまっている感じがする。
「………………」
 コーヒーまみれのぶかぶかのシャツを握り締めて呆然としている蛮に、
「それより蛮。さっさとシャワーでも浴びて着替えて来い。いつまでもコーヒーかぶったままじゃ風邪引くぞ」
 至極まっとうな波児の言葉。
「そうですよね、蛮さんシャワー浴びてきてください。あたしの服貸しますから」
 と、夏実も蛮にシャワーを勧める。
「シャワーはいいとして、何で夏実ちゃんの服なの?」
 きょとんと聞き返す銀次にむかって夏実は当たり前だと言いたげに、
「だってマスターの服だと大きすぎるでしょ? 今の服だってぶかぶかなのに」
「だからって、なんで女物の服なんぞ……おい夏実! 聞いてんのか!」
 がしっと両肩をつかまれて蛮があわてた声を出す。
「さ、蛮さん」
「おい、待てって夏実! こら銀次! ぼけっと見てねぇでとめろよ!」
「ほら、早くしないと風邪引いちゃいますよ」
「話を聞けー!」
 蛮の抗議もどこ吹く風。夏実は小さくなった蛮の身体をぐいぐいと引っ張って奥へと連れて行ってしまった。
 強引に奥に連れて行かれてしまった蛮の後姿を見送りながら銀次は困ったようにその場に立ち尽くした。とめろ、と蛮に言われたものの、夏実の勢いに口をはさむスキもなかったのでどうすることもできなかったのだ。
 困ったように扉を眺めている銀次にむかって、波児は読んでいた新聞から顔も上げずに淡々と、
「銀次。皿洗いの続き」
「……はい」
 銀次はしくしくと泣きながら再び皿洗いの作業に戻っていった。


 一時間後………
 両手のひらをぽんと合わせて夏実がうれしそうに声を上げた。
「わー、やっぱりかわいい! あたしの服だけどよく似合いますよ蛮さん」
「…………」
 銀次たち三人の前には、夏実の選んだ服を着た蛮がぶすっとむくれて立っていた――散々夏実に抗議したが、結局言い負かされてしまったらしい。
 だが実際その服は、子供の姿になってしまった蛮にとてもよく似合っていた。
 セットしていない洗い立てのさらさらの黒髪に、白のフレンチスリーブのシャツとベージュのハーフパンツ。一見したところこの子供が蛮だとは誰も気付かない程の仕上がりだ。
「ハーフパンツがキュロットみたいでさらにいい感じですよね♪」
 満足そうに一人、うんうんと頷く夏実――どう見ても蛮を着せ替えて遊んでいるのがバレバレである。
「でもさ〜ほんと。すっごい可愛いよ蛮ちゃん」
 うっとりとそんなことを言う銀次の様子に、蛮はとうとうぶち切れた。
「………………」
 無言でくるりと踵を返すと、早足で店の入り口に向かう。
「蛮ちゃんどこ行くの?」
 追いかけてこようとする銀次に向かって、
「ついてくんな!」
 それだけ言い捨てると、どかどかと足音も荒く店を出て行ってしまった。
「待ってよ、一人じゃ危ないって!」
 着けていたエプロンを急いではずして夏実に手渡すと、蛮を追いかけるべく銀次も店を飛び出した。
「マスター、二人とも行っちゃいましたね」
「そうだな」
「蛮さん大丈夫かなあんな子供の格好で……」
「ま、蛮のことだ。しばらくしたら元の姿に戻って帰ってくるだろ」
 心配するだけ無駄。とばかりに波児は手にしていた新聞をめくって紙面に再び目を落とした。


end