「アルがくる前に大佐のとこに行って、資料室の鍵を借りて……」
ぶつぶつ言いながら東方司令部の廊下を歩いている彼の名は、エドワード・エルリック――蜂蜜色の髪に金色の瞳の少年である。
エドワードはお目当ての資料がある資料室の鍵を借りるため、ロイ・マスタング大佐のいる執務室へと向かっていた。
「ん?」
廊下の角を曲がったところで、前方を歩く人影に気がついた。短めの黒髪に、メガネをかけ、青い軍服に身を包んだその後姿は――
(あ、ヒューズ中佐だ)
普段はセントラルにいて、ここではあまり姿を見ないその人物は、背後にいたエドワードに気がついたのか、こっちから声をかけるよりも前に後ろを振り返って声をかけてきた。
「よお、ひさしぶりだな」
「こんにちは」
足を止めたヒューズに近寄っていって挨拶を返す。ヒューズはエドワードの肩越しに後を見やってから、
「アルはどうした?」
そう尋ねてきた。
「アルとは後でこっちで合流する予定だけど?」
「そうか。それなら仕方がないな――」
ヒューズは少し残念そうに言いながら、上着のポケットからごそごそと、何か紙のようなものを取り出した。
「?」
きょとんとそれを見ているエドワードの目の前で、取り出した紙――写真だ。彼の愛娘、エリシアが奥さんとともに写っている――をかかげて見せながら、
「それより見てくれよ! この間、うちの娘がさぁ〜」
親バカモード全開で、上機嫌にしゃべりだしたヒューズの言葉をエドワードは慌ててさえぎった。
「あ、あの! オレ、ちょっと急用を思い出したんで――それじゃ!」
しゅたっと片手を上げてそう言い残すと、エドワードはさっき歩いてきた廊下を戻るように駆け出した。
「あっ! まだ話は終わってないぞ――」
なにやら叫んでいるヒューズの声を背中で聞きながら、
(あれ、話し出すと長いんだよな〜)
エドワード心の中ではぼやきながら足を速めた。
ばん! と勢いよく入り口のドアが開く。
「ちょっとかくまってくれ!」
室内に駆け込んでくるなりそう言ったエドワードに、ハボック少尉は目をぱちくりとさせた。
自分の机で書類作成をしていた短い金髪の青年は、くわえタバコの灰が落ちるのも気にせず、室内に飛び込んできた蜂蜜色の髪の少年の方へと顔を向ける。同じく室内にいた同僚。ブレダ少尉とフュリー曹長も一体何事かと、仕事の手を止めてエドワードの方を振り返った。
「かくまうって……誰から?」
全員の今の気持ちを代表して(?)ハボックがエドワードへと尋ねる。
「ヒューズ中佐から!」
「なんで?」
「娘の話の途中で逃げてきちゃってさ……つかまると、あの話長そうだし」
エドワードの言い分に、その場にいた三人は無言でこくこくうなづいて同意を示した。ヒューズの親バカっぷりは意外と他の部下たちにも知られているらしい……
「アルがこっちに来るまででいいからさ」
「それはいいが、何か用事があったから、二日連続でこっちに顔出したんじゃないのか?」
「あっ!」
ハボックに指摘されて、エドワードはようやく本日の目的を思い出した。
「大佐に資料室の鍵借りにきたんだった……」
「ヒューズ中佐はたぶん大佐のところへ行かれたと思いますよ」
「だな」
「ほら、あきらめて執務室へ行ってこい」
しっしっと追い払うように、ペンを持っていないほうの手を振って見せる。そんなハボックの机のそばまで近寄ってきたエドワードは、
「ハボック少尉がオレのかわりに執務室に行って、鍵借りてきてくんない?」
小首を傾げて可愛くねだってみたり。
「………………やだ」
微妙に長い沈黙をはさんだ後――ハボックはその可愛いお願いをきっぱりと断った。
「えぇ〜、鍵ぐらい借りてきてくれてもいいじゃん!」
ぷうと頬を膨らませるエドワードにハボックはわざとらしくはぁーとため息を吐いて、机の上に乗せられた白紙の紙の束を叩いてみせた。
「オレは今日までに作成しなきゃいけない書類がたまってるの」
「う゛〜」
「……で、おまえは一体何をしにここに来たんだ?」
山積みの書類にサインを入る手を止めて、闇色の髪に黒い瞳のこの部屋の主――ロイ・マスタングは自分の正面に陣取って、写真片手に延々と娘の自慢話をしている親友にむかってあきれた視線を投げかけた。
「ちゃんと仕事の話も済んだし、少しぐらい俺の話を聞いてくれてもいいだろう?」
そうは言うものの――仕事の話よりも、娘の話のほうが長いような気がするのは自分の気のせいだろうか?
「…………」
疲れたようにこめかみを揉んでいると、何気なくつぶやいたヒューズの言葉が耳に飛び込んできた。
「さっきもエドに逃げられたし――」
「えっ!?」
がばっと書類から顔を上げる。
「鋼のが来ているのか?」
「ああ、さっきそこの廊下で会ったぞ。エリシアちゃんの新しい写真を見せてやろうと思ったんだが、なんか急に用を思い出したとかいってな――」
ヒューズの話の後半を聞き流して、ロイが椅子から腰を浮かせかけた時――
コンコン。
室内に響いたノックの音に、ロイは仕方なく椅子に座りなおした。
「どうぞ」
「失礼します」
「失礼します」
二人分の声とともに、ホークアイ中尉とフュリー曹長が入ってきた。
「何だ?」
追加の書類の束を手にしているホークアイに、ではなく。その隣でヒューズと自分の顔を交互に眺めている柔和な顔にメガネをかけた青年にむかって声をかけてやる。
「あの、資料室の鍵を借りに来ました」
「?」
なぜ今日、彼が資料室の鍵が必要なのかが今ひとつ理解できず、ロイは訝しげにフュリーを見る。すると、彼はロイの視線に気がついたのか、思い出したように持っていた紙を上司へと差し出した。
「エドワード君に頼まれました」
紙には、エドワードの筆跡で『大佐へ――資料室の鍵を借りにきた。 ―エド―』と書かれてあった。それを見て、
「ふむ……」
ロイはあごに手を当てると、なにやら考え込み始めた。
「……なあ、そこに隠れられても困るんだけど……」
机の上に広げた紙に文字を書き込んでいたペンの動きを止め、ハボックは弱りきった様子でそうもらした。
すると、どこからともなく返事が聞こえてくる――
「オレのことは気にせずにハボック少尉は仕事しててよ」
「気にするなってもなぁ……」
心底困った顔で椅子を後ろに引くと、ハボックは机の下を覗き込んだ――そこには、エドワードが小柄な身体をさらに小さく丸めて座り込んでいた。
「静かにしてるんだから、べつにいいだろ?」
薄暗く狭い空間に見事に納まっている少年を見下ろして、ハボックはくらくらする頭を片手で抑える。
(静かとか、うるさいとかって問題じゃなくて、気になって仕方がないんだけどな……)
それ以上強くも言えず、ハボックはがっくりとうなだれた。
本人は『静かにしている』つもりらしいが、時折。
「遅いなフュリー曹長。鍵借りれなかったのかな……」
などとつぶやかれては、いやでも机の下に潜り込んでいる少年の存在を意識してしまう。
エドワードが身じろぐたびに、蜂蜜色の三つ編みがひょこひょこと動いてハボックの膝の辺りにあたる。その髪の感触に、ふと、手を伸ばしたい衝動に駆られた。
「………………」
つっと空いているほうの手を伸ばして、小さな頭をそっとなでる。思っていたよりも上質な髪の手触りに柄にもなくどきりとしていると、
「あーもう! うっとおしいって!」
不機嫌そうな声とともに、エドワードの頭の上にのせていた手が乱暴に払いのけられた。
(なんか、猫みたいだな)
そんなことを考え、思わず苦笑する。
「オレのことはほっといて、ハボック少尉はさっさと仕事する!」
「へいへい」
机の下からエドワードに怒られて、ハボックは笑って肩をすくめると、再び書類へとペン先を落とした。
しばらくすると、ブレダ少尉も部屋から出て行ってしまった。二人だけになった室内にはハボックが立てるカリカリというペンの音だけが響いている。
「あれ? ヘンに静かだな」
まったく身じろぎもしなくなったエドワードを不審に思って、ハボックが机の下を覗き込むと――
「くー……」
小さく身体を丸めたままの体勢で、エドワードが居眠りをしていた。
こんなところでよく眠れるな……とあきれ半分。同時に、それだけこの子供が疲れているのだという事を感じて、
(……しょうがないな)
ハボックは自分の軍服の上着を脱ぐと、そっとエドワードにかけてやった。
少しの間、幼さの残るその寝顔を眺めてから、ハボックも自分の作業へと戻っていった。
兄――エドワードとの約束の時間よりも少し遅れて東方司令部に到着したアルフォンスは、急ぎ足で資料室へと向かう途中、前方の廊下を歩いている見知った人に気がついてその背中に声をかけた。
「こんちには」
大きな鎧の身体を小さくしてぺこりと頭を下げる。
「あら、アルフォンスくん。いらっしゃい」
「こんにちは」
アルフォンスに気がついたホークアイとフュリーは、書類の束を両手に抱えたまま足を止めた。
「兄さんこっちに来てますよね?」
尋ねると、ホークアイではなくフュリーが答えを返してきた。
「ああ、エドワード君なら来てますよ。資料室に用事があるんだよね? 鍵は大佐が直接手渡すって言ってましたよ」
その答えに、
「じゃあ、もう兄さん資料室のほうにいってるのかな?」
「さあ? もしかしたら、まだハボック少尉のところかもしれないけれど……」
「ハボックさんのところ? わかりました。一度行ってみます」
二人に頭を下げてから、アルフォンスは兄の姿を探して歩き出した。
やっと仕事をひと段落させたロイは、資料室の鍵を上着のポケットの中に滑り込ませると、エドワードのいるらしい部屋へと足を運んだ。
フュリーが執務室にきてから少し時間が経っているので、ひょっとしたらもうどこかへ移動しているかもしれないが――それならば室内にいる誰かをひっつかまえてエドワードの行き先を聞けばいい。そう考えながらドアのノブに手をかける。
ドアを開けて中に入ると部屋の中は静かだった。
ぐるりと見回してみるが、他の者はみんな出払っているようで、ハボックだけが自分の机に向かってせっせと書類を作成している。
そして――自分の探し人の姿は見当たらなかった。
ハボックにエドワードの行き先を尋ねようと、机に近寄って口を開く。
「ハボック少尉」
普通に――怒っているワケでも、不機嫌な声でもなく――声をかけただけなのに、ハボックから返ってきたリアクションは予想外に大きかった。
びくんっと肩を跳ね上げ、わたわたと顔を上げる。ペンを取り落としそうな勢いだ。
「な、なんすか?」
返事をする声も、なぜかどもっている。
何かミスでもしでかしたのか? と不審に思いながらも、ロイはとりあえず聞きたいことを先に聞くことにした。
「ここに鋼のが来なかったか?」
「あ――」
その問いにハボックが答えるより前に――
「う〜ん」
ごつん。
ハボックの足元。机の下から聞き覚えのある声とともに、どこかにぶつかったような物音が聞こえた。
「ん?」
ロイの眉がわずかに寄る。
「いや、あの、これは……ですね……」
「いいから、そこをどけ」
なぜか動揺したように意味不明なことを口走り始めたハボックの肩をつかんで無理やり椅子から立たせると、机の脇にハボックの身体を押しのけてロイは机の下を覗き込んだ。そこには――
「鋼の!?」
ハボックの上着をかけられて、身体を丸め、くうくうと寝息をたてる蜂蜜色の髪の少年の姿が――
「………………」
眉間に皺を寄せて黙りこんだロイの横顔になにやら感じるものでもあったのか、ハボックがびくりと怯えたように後ろへと後ずさる。
「……………………」
ロイから漂ってくる言いようのない圧迫感に、ハボックはだらだらと冷や汗を流し、動けなくなっていた。
(誤解です! 誤解なんです!!)
心の中でいくら繰り返してもロイに聞こえるはずもなく――ハボックはびくびくしながらロイの次の行動を待った。
しかし、ロイは自分の横で怯えているハボックのことなど気にもせず、エドワードにかけてあった上着を取り上げるとそれを机の上に置いた。そして、床に膝をつくと、両手でエドワードの身体を抱き上げ――そのまま机の下から少年を引っ張り出す。
「う〜ん?」
横抱きに抱き上げると、振動で目を覚ましたのか、エドワードがうっすらと目を開けた。
「鋼の、いい加減に起きなさい。資料室に用があったのだろう?」
寝起きでぼんやりとしたままのエドワードにむかって――さっきまで漂わせていた圧迫感がウソのように――やさしく声をかける。
「ん〜……大佐?」
「ああ」
その声でロイを認識したのか、エドワードはロイの上着を軽く握り締めると胸元に顔をこすりつけた。
「まだねむい……」
甘えるようなその仕草に、ふっと笑みがこぼれる。
エドワードを抱き上げたまま歩き出したロイは部屋を出る直前、ハボックのほうを振り返った。
「ハボック少尉」
「は、はい!」
背筋をこれ以上ないほど伸ばし、敬礼しそうな勢いで返事をするハボックに、
「提出期限が今日までの書類だが、全部仕上げて一時間後に持ってこい」
と、無慈悲なセリフを残して部屋から出て行った。
「ぜったいムリっす……」
横暴な上司のセリフにハボックはだくだくと涙を流した。
一方そのころ。
兄の姿を探して東方司令部内をうろついていたアルフォンスは――
「ほら、これがこの前撮った写真でさ〜」
ヒューズ中佐につかまって、延々とエリシアちゃんの写真を見せられていた。
「よく撮れてるだろ。これなんかさ――」
「………………」
右から左へと話を聞き流しながら、アルフォンスは心の中で長いながいため息をついた。
end