その4
朝、目が覚めたら、隣で眠っていたはずの人物が――猫になっていた。
「…………これって、実は錬金術師だけがかかる病気かなんかか?」
眉間にしわを寄せたエドワードがもらしたその言葉は、広い寝室にやけにむなしく響いた。
◆◆◆
「アルの次は大佐かよ……」
寝室のベッドの上に胡坐をかいて、エドワード・エルリックはだぶだぶのパジャマ姿のままで頭を抱えた。
少年の動きにあわせて、三つ編みにしている蜂蜜色の髪が肩の上をすべる。寝癖で乱れた三つ編みをうるさそうに後ろに払うと、エドワードは金色の瞳をシーツの上でちょこんと座り込んでいる小動物へと向けた。
エドワードの視線の先には、黒い毛並みの猫が一匹――
「……ふむ。話には聞いていたが……本当に、前触れもなく突然猫になるものだな……」
やけに落ち着いた声は、その黒猫の口から漏れた。
しっかりと人間の言葉をしゃべりながら――猫になってしまった男――ロイ・マスタング大佐は、妙に落ち着いて――ぱたぱたしっぽを振ってみたり、肉球のある手を握ったりひらいたりしながら、猫になってしまった自分の身体のぐあいを確かめている。
「……………………」
そんなロイを、エドワードは心底困った表情でながめていた。
――昨日。
エドワードの弟のアルフォンスが、全身鎧のメンテナンスのために幼馴染のところへ行くと言い出したので、エドワードはアルフォンスと分かれて一人、イーストシティまで戻ってきていた。
図書館での資料探しのついでに東方司令部に顔を出したエドワードを、ロイは有無も言わさずに捕まえると――
「いつもアルフォンス君を理由に、逃げられてしまうからね」
「……うっ」
「もう一ヶ月近くも、君に触れていないんだ……私も、そろそろ限界だよ」
「でも…………」
「エドワード」
「っ……」
説得(?)の末、エドワードの了解をとると、ロイはそのまま可愛い恋人をつれて自宅へと帰った。
そして――
一晩明けてたらこの状態…………
「ったく。朝っぱらからこれじゃムードもへったくれもないよな………」
ベッドの上に胡坐をかいたままの姿勢で、がっくりと肩を落としたエドワードの言葉を聞きつけたロイが、
「おや。それでは、次回はもっとムードのある演出を心がけるとしよう」
「……エンリョします」
さわやかにそんな事を言われ、エドワードは顔を赤らめてそっぽをむいた。そんなエドワードの大きくはだけたパジャマの胸元からは、昨日の夜。ロイがつけたいくつもの赤い痕がのぞいていた。
「いまさら……」
「うるさい」
まだ何か言ってこようとするロイをひと睨みして黙らせると、エドワードは痛む腰をさすりながらベッドからおりた。
「とりあえずメシにしよっと……ここにいろよ大佐! ぜったいついてくんなよ!」
そうロイに釘を刺すと、エドワードは寝室から出て行った。
――しばらくして。
いつもの黒の上下に着替えたエドワードが、首にかけたタオルで濡れた髪をがしがし拭きながら寝室へと戻ってきた。
その手には、ほかほかと温かな湯気が立ち上る深めの皿がひとつ。
「ほら、大佐」
ベッドからおりて床の上まで移動していたロイの目の前にコトリ、と置かれた皿の中には、温められたミルクがなみなみと入っていた。
「鋼の……君の気持ちは嬉しいが、少し温めすぎだろう?」
皿のミルクをひとくち舐めて――あちちっと舌を出しているロイを見て、エドワードはぽりぽりと人差し指で頬をかいた。
「あ、わりぃ。そういや猫って猫舌だっけ?」
「……私も、猫舌になっているとは思っていなかったがね」
しゃべっている間に少し冷めたのか、再びミルクを舐め始めるロイ。
そんなロイの様子を、しゃがんで自分の膝の上にひじをついて頬杖をしたエドワードが上から見下ろしながら一言、ぽつり。
「……やっぱり中尉には言っとくべきだよな。仕事もたまってるだろうしさ」
「………………」
エドワードのつぶやきに、ロイはミルクの入った皿から顔を上げるとなさけなさそうに少年の顔を見上げた。
「そう……今度は大佐が猫に……」
エドワードから話を聞いたリザ・ホークアイ中尉は、エドワードの手によって目の前に差し出された黒い毛並みの猫の姿を認めると、ダークブラウンの瞳をわずかに見開いた――だが彼女は特にそれ以上のリアクションはせず、淡々と部下達に指示を出し始めた。
「誰か、このファイルを資料室に戻してきて」
「はい」
「それから――」
「わかりました」
「…………さすが中尉だ」
「…………たんに四回目ともなると、いい加減慣れただけだったりして」
てきぱきと仕事をこなすホークアイの後姿を少し離れた場所で眺めながら、一人と一匹はうつろに笑った。
一通り指示を出し終わってこちらに戻ってきたホークアイは、てきぱきと変更されたスケジュールをロイに告げてゆく。
「大佐。本日予定されていた会議のことですが、その姿では余計な混乱が生じますので明日以降にまわすように手配しておきます」
「ああ」
「それと――」
「それと?」
「書類の類は問題ないと思われますので、本日中に目を通してください」
「…………ああ」
ホークアイから感じる反論を許さないその雰囲気に、ロイは耳としっぽを力なくうなだれさせながら首を縦に振った。
「あ、悪いけれどハボック少尉を呼んできてちょうだい」
「はい」
近くを通りかかった部下にそう頼むと、ホークアイはロイと、そのロイを抱きかかえているエドワードのほうへ振り返った。
「それでは大佐。執務室のほうへ」
「…………で? この構図はなに?」
首を傾げるエドワードの前には、執務室の机の上に高く積まれた書類の山に挟まれるようにして、ちょこんと座り込んでいる黒猫と、その机の椅子に居心地悪そうに座らされている短い金髪に緑色の瞳の青年がいた。
「さあ?」
エドワードの質問に、椅子に座っている青年、ジャン・ハボック少尉がエドワードと同じように首を傾げてみせる。
ハボック自身もなにがなにやら……ホークアイに呼び出されて執務室に来るなり、ロイの身体に起こったこと説明されて、そのまま強制的にここに座らされたのだ。
『………………』
不思議そうに顔を見合わせる二人と一匹。
そこへ追加の書類を手にホークアイが戻ってきた。
「中尉。オレはなにをすれば……?」
「大佐が猫になっている以上、その手ではペンは握れないでしょうからハボック少尉に代筆を頼もうと思って」
「ええっ!? オレが書類にサインするんすか?」
愕然として、人差し指で自分を指差すハボック。
それを見ながら、エドワードはこっそり心の中で『ご愁傷様』とつぶやいた。
「そうそう、エドワード君は大佐達に付き合うことはないのよ。本を探しに図書館とかに行きたいでしょう?」
持ってきた書類を机の上に積み上げながら、ホークアイはエドワードを振り返って、そう優しく声をかけてくれる。
そのホークアイの申し出に、エドワードはふるふると首を横に振った。
「いや、いいよ。オレもここにいる」
「鋼の……」
(私のことを心配してくれているのか、鋼の……)
エドワードの答えに、ロイはじーんとした顔で恋人の顔を見つめる。
しかし――
「だって、猫になったままの大佐が逃げ出したら、中尉たちだけで捕まえるの大変じゃん」
続いて出てきたエドワードのセリフに、ロイはがっくりと肩を落とした。
「鋼の……期待した私がバカだったよ」
――おまけ――
「…………にしても、大佐まで猫になるとは思わなかったっすよ」
ロイが目を通し終わった書類に機械的にサインを入れていきながら、ハボックはふと、そんなことを言い出した。
「私も、自分が猫になるなんて思ってもみなかったよ」
高く積まれた書類の山から、苦労して次の書類を取ると、ロイはふう、とため息をついて肩をすくめる。
そんな二人のやりとりに、ソファに腰を掛けて静かに本を読んでいたエドワードが紙面から顔を上げた。
「そういえば、今んとこ猫になったのって……オレが二回と、アルと大佐か……」
エドワードが指を折りながら数えていると、ロイが不敵に笑って言った。
「ふふふふっ……次は誰の番かな?」
呪いめいたロイのセリフに、ハボックは目の前にいる『本当に猫になってしまった』上司を引きつった顔で見下ろした。
「……怖いこと言わないで下さいよ大佐」
end