「鋼の…………久しぶりに一人で私の家に泊まりに来たというのに、風呂から出てくるなりそれはないだろう?」
湯上りのパジャマ姿で自宅のリビングに入った途端、目に入ったその光景にロイは思わずげんなりとした。
家に帰宅したときにはきちんと片付けられていたはずのリビングは、今や簡易の書斎と化していた。
テーブルの上には、高く積まれた本の山。
その向かいに置いてあるソファに座っているのは、金色の瞳にまだ少し湿っている蜂蜜色の髪を三つ編みにしているパジャマ姿の少年が一人。その手には分厚い本が――
「だって……この本あんまり長いこと借りとけないんだもん」
鋼の、と呼ばれた少年。エドワードは本から視線を外さずにそう答えた。
「明日は休みだし、そんなに急いで読むことはないと思うがね」
黒髪に黒い瞳を持つこの家の主は、やれやれと嘆息しつつ本のページをめくる少年を眺めた。
今、エドワードが着ているパジャマはロイに借りた物なのだが、サイズが大きすぎてだぶだぶ。あまった袖と裾を何度か折り返して着ている。それを見ながら、
(湯上りにその格好では、風邪を引いてしまうな……)
ロイはなにか上に羽織る物でも持ってこようと、部屋から出て行こうとして――
「いてっ!」
――突然上がった小さな悲鳴に思わず足を止めた。
「どうした!? 鋼の」
振り向くと、エドワードが自分の左手の人差し指を見ながら、苦笑いを浮かべていた。
「大丈夫。本の紙で指切っただけ」
ロイは大股でリビングを横切ってソファのところまでいくと、エドワードが座っている場所の正面の床に片膝をついた。
「見せてみろ」
有無も言わさない雰囲気でエドワードの左の手首を掴むと、自分の視線の高さまで持ち上げる。そして、見る見るうちに血が滲みだしてきた傷口に、躊躇いなく口を付けた。
「!!」
ロイの行動にびっくりして固まってしまったエドワードをよそに、ロイは傷口の血を舌で舐めとってから傷口の様子を確かめた。
「ふむ……そんなに深く切れてはいないな」
いたって真面目にそうつぶやいたロイの声でエドワードはやっと我に返った。
「っ、傷口見るのに、わざわざ舐めんなよ!」
ロイに左手首をつかまれたまま、真っ赤になった顔で上目遣いにその黒い瞳を睨みつける。
しかし、ロイは睨んでくる視線を平然と受け止めつつ、
「消毒ついでだ」
しれっと言ってエドワードの手を放した。
「救急箱を持ってこよう。そこで大人しくしてなさい」
「う゛〜」
文句言いたげに睨んでいるエドワードを残して、ロイはリビングから出て行った。
「…………大佐ってけっこう器用なんだな」
ロイに手当てをしてもらった人差し指をしげしげと眺めながら、エドワードは思わずしみじみとつぶやいた。
「そうかい?」
テーブルの上に出していたハサミやガーゼを手早く救急箱にしまいながら答える。
こちらに背を向ける格好で片付けているロイに、
「…………でも大佐、これってちょっと大げさすぎない?」
ちょっと切っただけなのに、包帯まで巻くのはどうかと思うけど……
美しく巻かれた包帯を眺めながらエドワードは思わずつぶやく。
「まあ、いいじゃないか」
そのエドワードのつぶやきに、ロイは片付けの手を止めずに苦笑した。
「……べつにいいけどさ」
救急箱を持って立ち上がったロイの背中を見送りながら、エドワードはテーブルの脇にどけられていた借りている本に手を伸ばした。
「……鋼の。まだ読む気かい?」
救急箱を元の場所に置いてこようとリビングの入り口に向かって歩き出したロイは、エドワードが本のページをめくる音を聞きつけてあきれた。
「だって、今のうちに読んどかないとさ――」
不自然に言葉を途切れさせてなぜか黙りこむ。
「鋼の?」
ロイはきょとんとして立ち止まると、エドワードのほうを振り返った。俯いた頬がわずかに赤い。
「……絶対、明日の朝起きれなさそうだし……」
「!」
小声でポツリとつぶやく――しかし、ロイにはしっかりと聞こえたらしい。
「そうか……」
納得顔で頷いたロイが口元に笑みを浮かべた。
急ににやにやしだしたロイにむっとして、エドワードはソファの上に置いてあった手近な場所にあったクッションをわしっと引っ掴むと、にやけ顔のロイめがけて思いっきりそれを投げつけた。
「なに、にやにやしてやがる!」
ぽふっ。
声とともに飛んできたクッションを開いているほうの手で難なく受け止めながら、
「いや、君があんまり可愛いことを言ってくれるものだから、つい、ね。……そうか、期待されているのならば、私もちゃんとそれに応えなければならないな……」
「むっかつく〜!」
クッションと救急箱を両手に抱えたまま、なにやら一人で勝手に納得しているロイを見てエドワードの怒りのゲージがさらに上がる。
「誰が言った!? そんなコト!」
ばぼふっ!
怒鳴り声とともにロイめがけて投げつけられた二個目のクッションは、今度はものの見事にロイの顔面にヒットしたのだった。
end