その2
「またかよ……いったいなんだってんだ! オレがなんかしたってのか!?」
その朝。エドワードの怒りを含んだ叫びが部屋中に響いた。
◆◆◆
「ったく……いい加減にして欲しいよな」
エドワードとアルフォンスが泊まっている宿屋の一室。
ベッドの真ん中に胡坐をかいて座りエドワードはぶちぶちと文句をたれていた。不機嫌そうにしっぽで白いシーツをバシバシと叩く。
――しっぽ?
そう、しっぽ。エドワードのお尻にはなぜか、金茶色の毛並みの細長いしっぽが生えていた。
「でも、今回はしっぽと耳ぐらいしか猫化しなかったし、よかったじゃない?」
兄をなだめるように言った弟のセリフに、エドワードの頭の両側――蜂蜜色の髪に埋もれるようにぴょこっと生えた金茶色の猫の耳がぴくり、と動く。
「よくねーよ全然! 両手も猫化してんだよ! 肉球だぞ肉球!!」
怒りに声を荒げながら、アルフォンスの目の前に金茶色の毛で覆われた両手を突きつけて見せた。
鋭く尖った爪。手のひらはぷにぷにの肉球。金茶色の毛並みに覆われたそれは、まさに『猫の手』そのもの。
またもやエドワードに降りかかった変事――
ただ前と違う点は、前回はエドワード自身。完全に猫化して子猫サイズになってしまったのに対して、今回はエドワードの身体の大きさは元のまま。身体のパーツが一部、猫のようになってしまっているのだ。
「けっこう似合ってると思うけど?」
「そんなこと言われて嬉しいわけねーだろ!」
小首をかしげてそんなことを言うアルフォンスに背を向けると、エドワードはぶすっとしながら頭から布団に潜り込んだ。
「兄さん?」
アルフォンスの声に、エドワードは布団の端から顔だけ出すとキッパリと、
「今回は、元の姿に戻るまで絶対に部屋から出ないからな!」
なにやら決意のこもったエドワードのセリフに、アルフォンスはこっそりと忍び笑いをもらした。
(そうやってると、ホントの猫みたい……とか言ったらまた怒るだろうな)
そんな事を思いながらエドワードを見ていたが、ふと、机の上に目をやって思わず声を上げた。
「あっ!」
「なんだ? どうした?」
アルフォンスの声に驚いてエドワードがきょときょとと辺りを見回す。
机の上にはエドワードが昨日遅くまで読んでいた本が開かれたままのっている。アルフォンスはそれを取り上げてエドワードの目の前に差し出た。
「ほら兄さん。コレ!」
「? その本がどうした?」
アルフォンスの言おうとしていることがいまいち理解でない。
不思議そうに自分の顔を見返してくるエドワードに、アルフォンスは少しじれったそうに、
「この本。大佐から借りたんじゃなかったっけ? 今日返す約束だったよね?」
「あっ!」
やっと思い出したらしい。
だらだらと汗を流しながら本と、アルフォンスと、自分の手のひらを見比べてからエドワードが情けない声を出す。
「アルが行って返してきてくんない?」
「ヤダ!」
キッパリと断られてエドワードがさらに情けない顔をする。それを見たアルフォンスが呆れたように言った。
「大佐や中尉には前に猫化したときにも会ってるんだし、いまさら兄さんのその姿を見たって別に驚かないって」
アルフォンス自身も、朝エドワードの頭に生えている猫耳を見たときには若干驚いたが、前回のように取り乱してパニックになるようなことはなかった。
「でも、嫌なもんはイヤだ!」
頭まで布団を被りなおし、さらに深く布団の中に潜り込もうとするエドワード。
嫌がる兄を見てアルフォンスは困った。
エドワード自身が借りた本を返しに来ないとなると、絶対にロイがそのワケを聞いてくる。素直にワケを話しても、適当に言葉を濁しても、ロイが仕事を放り出してエドワードの元に駆けつける事はわかりきっていた。
(中尉に迷惑かけるのもな……)
ホークアイの優しげな顔を思い浮かべて、アルフォンスは申し訳ない気持ちになった。
「兄さん。ちゃんと本返しに行かないと大佐や中尉に迷惑がかかるしさ」
「この姿で行くのはイヤだ!」
「もう!」
駄々をこねるエドワードに、アルフォンスは少々強引な手段に出た。
ばっ!
エドワードが頭から被っていた布団を強引に剥ぎ取ると、エドワードのわきの下に両手を差し込んでひょい、と身体を持ち上げた。
「ふえっ!?」
突然のことに驚くエドワード。
しかし、はっと我に返るとベッドの縁に爪を立て必死に抵抗した。
重たいベッドが引きずられて少し動いた。それを見たアルフォンスはエドワードの身体を片手で抱えなおし、空いたほうの手でエドワードの猫化した手の甲をぺしりと叩いた。
「兄さん。そんなことしたらベッドが傷むってば!」
叩かれた衝撃で爪がベッドから外れる。エドワードがほかにつかまることのできる物を目で探しているうちに、アルフォンスはエドワードの身体をひょいと肩にかつぎ上げると部屋を後にした。
「……なあ、アル」
「なに、兄さん?」
「やっぱコレ……目立つだろ?」
宿から強引に連れ出されたエドワードは、頭からすっぽりと白いシーツを被っていた。被っているシーツの隙間からわずかに目だけ覗かせると、片手で自分を軽々と抱え上げている弟の顔を見上げる。
「兄さんが『絶対にこの姿を人に見られたくない』って言うからこうなったんでしょ?」
「でもさ……これは怪しいって」
ぶつぶつ文句を言うエドワード。
「文句言わないの」
芋虫よろしく真っ白なシーツに頭から包まったエドワードを抱きかかえ、もう一方の手にロイから借りた本の入った袋を下げて、アルフォンスはすたすたと東方司令部へ向かう。
「アル〜せめて自分で歩くから降ろしてくれよ〜」
「降ろした途端に走って逃げるくせに」
「ぐっ!」
図星を指されてエドワードが返答に詰まった。
そんな兄を嘆息交じりに見下ろしてから、アルフォンスは歩く速度を速めた。
東方司令部についた二人を出迎えたホークアイは、アルフォンスの抱えている白いシーツの塊を見てぎょっとして固まった。
ホークアイの驚きように多少狼狽しながらアルフォンスがおずおずと口を開く。
「あの、大佐に借りていた本を返しに来たんですが……」
「それはいいのだけれど…ええっと…『それ』は?」
遠慮がちに白いシーツの塊を指差す。
「中尉。この格好は気にしないで!」
シーツの中からくぐもった声で返事が返ってきた。
「この声……このシーツの塊ってエドワード君なの!?」
声から、このシーツの塊の中身がエドワードだということを察したホークアイが慌てて問う。
「どうしたの? どこか具合でも悪いの? 怪我をしたとか?」
心配げなホークアイにエドワードも申し訳なくなって、シーツの端から耳の部分を隠し顔だけ覗かせる。顔色も良く、わりと元気そうなエドワードの顔を見てホークアイはちょっと安心した。
「本当にどうしたの? 一体」
「なんでもない! なんでもにゃい!」
「……『にゃい』?」
エドワードの口から飛び出した言葉にホークアイが訝しげな顔をした。しまった! と慌てて口を噤むがもう遅い。ホークアイはしばらく顎に手を当ててなにごとか考え込んでいたが、ふっと微かに笑う。
「あの……」
「中尉?」
おそるおそる尋ねるエルリック兄弟。それを手で制するとホークアイはたまたま近くを通りかかったハボックを呼び止めた。
「ハボック少尉。ちょっと……」
ごにょごにょとハボックに何かを耳打ちする。言われたほうのハボックは一瞬、ぎょっとした顔をしたが、すぐに意味深な笑みを浮かべるとさっき出てきたばかりの執務室のほうへと引き返した。
―――待つことしばし。
地響きを響かせながら廊下を全速力で走ってくる人影――ロイだ。
ロイはアルフォンスたちの前で急ブレーキをかけてとまると、早口にまくし立てた。肩でぜーぜーと息をしている。
「鋼のが具合が悪いというのは本当か!?」
「えっ?」
シーツに包まったままのエドワードがきょとんと聞き返した。その声に、はじめてエドワードがここにいることに気がついたロイはアルフォンスの腕に抱きかかえられたままのエドワードに詰め寄った。
「どこが悪いんだい? 怪我か?」
「いや、あの……」
そのロイの勢いに押されてエドワードがびくっとしてアルフォンスにしがみつく。
「兄さん。べつに具合が悪いわけじゃないんですけど……」
エドワードのかわりに、アルフォンスが困ったように笑いながら言った。
その頃には、ホークアイになにごとか言われて――おそらく、ロイを呼びに行かされたのであろう、ハボックも戻ってきた。
「なぜシーツを被っているんだ? アルフォンス君に抱えられているということは歩けないのかい!?」
「そうじゃなくて…」
おろおろと取り乱すロイを前に、エドワードはしばらく悩んでからしぶしぶ被っていたシーツを取った。
『!!』
それを見た三人が驚いた。
エドワードの頭にひょこっと生えた金茶色の猫耳。お尻から生えた金茶色の長いしっぽ。鋭い爪の生えた金茶色の手で恥ずかしそうに自分を抱えているアルフォンスの腕にしがみつく。
それを見たハボックとロイが同時にがくり、と床に膝をついた。握り締めた拳をぷるぷるさせながら小声で「か、かわいい!」と呟いているのが聞こえる。
「むー」
ハボックとロイのリアクションにエドワードが嫌そうに唸った。
「この猫耳ってこの間の時と同じ現象なの?」
「たぶん……そうだと思います」
この三人の中で唯一冷静なホークアイがアルフォンスにたずねた。
「ほっときゃ治るって言ったのに。アルが無理やり連れてくるんだぜ」
エドワードが不服そうに漏らす。下を見るとハボックとロイがまだ床にへたり込んでぷるぷると身体を震わせていた。
むかっ!
エドワードが急にアルフォンスの腕を振り払って床に飛び降りた。つかつかとロイに近寄ると、床にへたり込んだままのロイの胸倉に爪を引っ掛けて乱暴に引きずり起こす。
「人の格好見ていつまでもへたり込むな! オレだって好きでこんな格好してんじゃねぇ!」
いきなり逆ギレしたエドワードがロイの胸倉を掴んでがくがくと前後に揺さぶった。
「ちきしょ〜! 笑いたきゃ笑え〜!」
しばらく大人しくエドワードに揺さぶられていたロイだったが、急に真面目な顔になると、
「笑うわけないだろう? こんなにかわいい姿のエドワードを見て――」
そこまで言ってロイは不意に言葉を切った。
両手でがしっ! と肩をつかんだ。
思わずびくっと動きを止めるエドワード。
警戒して様子を見ていると、ロイはそのままエドワードの背中に両手を回してぎゅうっと思いっきり抱きしめた。
「大佐、苦しい〜!!」
腕から逃げようと必死にもがくエドワード。ロイの抱擁が強すぎて息もろくにできない。
それを見たホークアイとアルフォンス。それに、やっと猫耳エドワードのインパクトから立ち直ったハボックは口々に突っ込んだ。
「大佐、エドワード君を潰す気ですか!」
「大佐、兄さんが死んじゃいますって!」
「落ち着いてください大佐!」
三人がかりでエドワードをロイの腕から助け出したときには、エドワードはすっかり酸欠で目を回していた。
end