「うるさい!」
宿屋の客室の一つから、怒声が上がった。
ここはイーストシティにある、一軒の宿屋。その宿の二階の廊下まで聞こえるような大声で言い合っていたのは、エドワードとアルフォンスだった。
「兄さんのわからずや!!」
そう言い捨てると、アルフォンスは乱暴に部屋の扉を開けて、廊下へと飛び出した。そのまま階段を駆け下りていく。
「…………」
部屋に一人取り残されたエドワードは、しばらくアルフォンスが開け放ったままの扉をじっと睨みつけていたが……やがて、不機嫌な顔でベッドの上に置いていた自分の赤いコートをひっつかむと、自分も部屋から出て行った。
「……はぁ」
エドワードとケンカをして、勢いで宿屋から飛び出してきたものの、ほかに行くあてがあるわけでもなくアルフォンスは一人、途方にくれていた。
「………ふぅ」
ため息をついて、大きな鎧の身体を小さくしながら、とぼとぼとあてもなく街をうろついていると、後ろから走ってきた車がすっと自分の横に止まった。
「?」
きょとんと、そちらを見ると、車のハンドルを握っているホークアイと、後部座席でこちらに向かって軽く片手をあげてくるロイが目に入る。
「やあ。アルフォンス君じゃないか。どうした? 元気がないようだが」
「どうしたの。何かあったの?」
「大佐、中尉……」
尋ねてくる二人に、アルフォンスは思わず情けない声を出した。
「……そうか。なるほどな」
東方司令部へと向かう車内で、アルフォンスから一通り話を聞いたロイは、納得顔でうなずいた。
ホークアイの運転する車で東方司令部の玄関前に到着したロイは、申し訳なさそうに大きな身体をめいっぱい小さくして横に立っているアルフォンスに、
「気がすむまでここにいるといい。鋼のには私から連絡しておこう」
「……すみません」
「なに、気にすることはない。いくら仲のいい兄弟だといってもケンカぐらいするものさ」
そう言ってぽんぽんとアルフォンスの腕を軽く叩くと、後のことをホークアイに任せて、自分は一足先に東方司令部の中へと入っていった。
「中尉、ちょっといいですか?」
ノックの音とともに自分を呼びにきた部下の声に、ホークアイは持っていた備品をアルフォンスに手渡して戸口をふりかえった。
アルフォンスがへんに気を使わないようにと簡単な雑用を頼んでいたのだが、その説明の途中で呼び出がかかったのだ。
「ごめんなさいね。じゃあ、さっき説明したところまでお願いできるかしら」
「あ、はい。わかりました」
アルフォンスはそういって首を縦に振ると、てきぱきと作業をはじめた。それを見届けてから、ホークアイは部下を促して部屋を出た。
「用件は?」
「大佐がお呼びです」
「わかったわ」
そう返すと、急ぎ足で執務室へとむかう。
コンコン。
「入りたまえ」
その声に、ホークアイは静かに執務室内へと入ると、机に向かって書類に目を通しているロイに声をかけた。
「大佐、お呼びでしょうか?」
「ああ、中尉か」
ホークアイに気がついたロイが書類から顔を上げた。机の上に書類を戻しながら、
「鋼のが宿にいなくてね。連絡が取れないんだ」
「いつから宿にいないんですか?」
「宿の主人の話では、アルフォンス君が宿を飛び出していってからすぐに、自分も出ていったらしい」
「行き違いになったんでしょうか?」
「わからん。すまないが……」
そのロイの言葉をさえぎるように、
「わかっています。探しに行ってきます」
一瞬。ロイは目を見張ってから、唇の端をわずかに上げてみせた。
「……すまない」
一方。
一人宿を出てきたエドワードも、行くあてもなく街をうろついていた。
たまたま目についた公園に入り、隅に置いてあったベンチに腰を下ろすと思わずため息がこぼれる。
「……はぁ」
頭を冷やそうと宿から出てきてから、ずいぶんとたった気がする。アルフォンスは、どうしただろうか?
「……ちょっと言いすぎたかな」
後悔の言葉が、思わず口をついて出る。
しょんぼりと肩をおとしてそんな事を考えていたエドワードの頬に、ぽつり、と冷たいものがふってきた。顔を上げて空を見上げると、灰色の雲に覆われた空は今にも泣き出しそうだった。
「……雨、か」
ぽつり、ぽつりと、ふりはじめた雨は、徐々に本格的にふってきた。
しかし、エドワードはその場を動こうとはしなかった。雨に濡れるのも気にせず、ベンチにすわったままぼんやりと灰色の空を見上げる。次から次へと落ちてくる雫を眺めていると、足元からか細い鳴き声が聞こえてきた。
「ニャァ〜」
「?」
視線を下ろせば、ベンチのそばにある茂みががさごそと動いていた。じっと見ていると、そこから茶色いしましまの子猫が一匹這い出してきた。
ずぶ濡れのその子猫が、なんだか今の自分と重なって見えた。
「おいで」
「ニャァ」
そっと手を伸ばして子猫を呼ぶと、子猫は案外素直にエドワードのそばまでやってきた。ぴょんとひざに飛び乗ってくる子猫を抱き上げて頭を撫でてやりながら、
「おまえはあったかいな」
「みゃぁ」
しばらく、そうやってエドワードが子猫を抱いていると、同じ茂みから親猫らしき茶色のしましまの猫が出てきた。
「みゃ!」
エドワードに抱き上げられていた子猫はじたばたと暴れてエドワードの手をすり抜けると、こちらを振り返って一声鳴いてから、親猫とともにどこかへいってしまった。
「……迎えがきたんだな」
猫の親子が消えたほうをなんとはなしに眺めていたが、やがてエドワードは黙って膝を抱えるとうつむいた。
「本格的にふってきましたね」
雨で視界が悪くなってきたフロントガラス越しの景色を見ながら、車のハンドルを握ったハボックがぼやく。
その助手席では、ホークアイが外を歩く通行人の中に目的の人物がいないか、目を凝らして探していた。
「早くエドワード君を見つけましょう」
「そっすね」
ゆっくりと、速度を落として車を走らせながら、二人でエドワードの姿を探す。
彼が行きそうなところはすでに回ってみたが、どこにもエドワードの姿はなかった。
「ん?」
ふと視界に飛び込んできたものに、ハボックはわずかに眉をひそめた。通りすぎた道路わきの公園に、蜂蜜色の髪と、赤い服が見えた気がしたのだ。
「どうかしたの?」
「あ。いえ……ちょっと、さっきの公園が気になって……公園まで戻りますね」
不思議そうにホークアイに聞かれて、ハボックは自信なさげにもごもご言いながら車をUターンさせると、もと来た道を引き返す。
「……やっぱり」
「まあ……」
引き返してみると、ハボックの思ったとおり。
雨の公園で、エドワードが傘もささずにベンチにすわり込んでいた。
「エドワード君!」
「ずぶ濡れじゃねーか、お前!」
傘をさしながら車から降りてきた二人を見て、エドワードがきょとんとしながら、
「中尉達……なんでこんなとこにいんの?」
「それはこっちのセリフ!」
エドワードへと傘をさしかけてやりながら怒ったようにハボック。
「宿の方に電話をしたんだけれど、エドワード君がいなかったから探しに来たのよ」
「なに? 緊急の用?」
ホークアイの言葉に、わずかに緊張した顔を見せたエドワードに対してハボックは軽くぱたぱたと手をふりながら、
「ちがうちがう。アルは東方司令部にいるから心配すんなって連絡しようとしただけだ」
「……そう」
それだけ言うと、エドワードはまた膝を抱えてうつむいた。
「お前も来い。そのままじゃ風邪引くぞ」
「…………」
ハボックの言葉に、エドワードは黙って首を横にふった。
「あのなぁ……」
「…………」
黙りこんだままそこから動こうとしないエドワードにハボックが手を焼いていると、後ろから肩を叩かれた。
「ハボック少尉」
「なんすか?」
ホークアイは手招きをしてハボックを寄せると、その耳元にごにょごにょとなにごとか、耳打ちをした。
「了解」
「それじゃ」
今までさしていた自分の傘をハボックに手渡すと、ホークアイは雨の中を小走りで車へと戻った。そのまま、車に乗り込んでどこかへ行ってしまう。
それを見送ってから、ハボックはホークアイが残していった傘をエドワードへとさしかけた。
しばらく、何も言わずにエドワードの横に立っていたハボックだったが、なんとなく聞きにくそうに
「なあ……お前、アルとケンカでもしたのか?」
その一言に、エドワードの肩がびくりと動いた。
「理由は知らんが、こんなところですわり込んでてもしょうがないだろう?」
「……わかってる、けど……」
うつむき、自分のつま先を見つめたまま、雨音にかき消されそうなほど小さな声でつぶやく。
そんなエドワードを見下ろしていたハボックは、どうしたものかと思案顔で雨雲が広がる空を見上げた。
雨が降り続く公園前の道路に、一台の車が急ブレーキをかけて止まった。
車が止まると同時に、後部座席から大きな人影が飛び出してくる。
「兄さん!」
車から降りてきた人影――アルフォンスは、ベンチにすわり込んだままの兄の姿を見つけると一目散に駆け寄ってきた。
「……アル?」
弟の声に、のろのろと顔を上げるエドワード。
アルフォンスはだっと駆け寄ってきて、エドワードが座っているベンチの前に膝をつくと頭を下げた。
「ごめん。ボクが言いすぎたよ」
それを見て、慌てて弟の顔を上げさせながら、
「もういいよ。オレも悪かったんだしさ」
「兄さん……」
やっと顔を上げたアルフォンスの肩を叩いて、エドワードもうなずく。
「……よかった。仲直りできたようですね、あの二人」
エドワードと、アルフォンスの様子を車の中で見ていたホークアイが、ハンドルに手をかけながら、ほっとした顔をした。
「私がこなくても大丈夫だったな」
ホークアイから聞いたエドワードの様子に、心配して仕事を放り出してアルフォンスについてきたロイも、ほっと胸を撫で下ろす。
見ると、ハボックもほっとした顔でエルリック兄弟を見ていた。
大人たちの心配をよそに、兄弟はすっかりいつもどおりで、
「兄さん。早く着替えないと風邪引いちゃうよ!」
「大丈夫たって……っ、くしゅん!」
「ほら、言ったそばから」
エドワードを立たせて自分も立ち上がると、二人でハボックに礼を言い、アルフォンスは車の中にいるロイ達に向かって頭を下げた。
そして、公園を後にして二人は歩き出した。
「さ、早く宿にかえろう」
「そうだな」
end