ある朝の変事

 朝、起きたら猫になっていた――
「……なんてバカげた話、誰が信じるってんだよ!」
 朝。なにげなく鏡で自分の顔を見たエドワードは、開口一番そう叫んだ。

◆◆◆


「に、にっ……兄さん…なの?」
 宿屋の部屋のベッドの上。
 ちょこんと座り込んでいるエドワードらしき猫を、ぶるぶると震える指で指差しながら、アルフォンスは動揺を隠しきれない声で怖々とたずねた。
「おう」
 金茶色の子猫が人の言葉をしゃべりながら大きくうなずく。
 その声は紛れもなく彼の兄――エドワード・エルリックのもので……
「うわぁぁ! にっ、兄さんが猫に〜〜! なんで!?」
 悲鳴じみた声を上げ両手で頭を抱える。そんな弟とは反対に、エドワードはすっかり落ち着いた様子でアルフォンスの鎧の腕をなだめるように前足でぽんぽんと叩いた。
「ちょっと落ち着けって、アル」
 しかし、エドワードの声はアルフォンスを落ち着かすどころか、かえってアルフォンスのパニックを悪化させただけだった。
「どうしようどうしよう、たいへん! たいへん!!」
 猫になってしまった兄の小さな身体を両手で掬い上げると、ぐるぐると宿屋の部屋の中を歩き回る。
 それほど広くない部屋の中を、混乱気味に早足でぐるぐると歩き回り『どうしようどうしよう』ばかりくり返す弟に、エドワードは呆れたため息をひとつついた。


 アルフォンスが『それ』を見つけたのは、ほんの数十分前。
 エドワードを起こそうと布団をめくったらそこにはなぜか金茶色の子猫が一匹……
 姿の見えない兄を探そうとしたアルフォンスに、その子猫は眠たげな声で言ったのだ、
「んー……アルか?」
 と――


 一時間後――
 やっと落ち着きを取り戻したアルフォンスは、机の上にいる金茶色の子猫になってしまったエドワードを眺めていた。
「ねえ兄さん。猫になっちゃった心当たりとかはないの?」
「にゃい!」
 ちゃんと人の言葉はしゃべれるようだが、若干語尾がヘンだ。
「兄さん。ちょっと言葉がヘン……」
「オレが好きでしてるんじゃにゃいっての!」
「…………」
 頭を抱えるアルフォンスに、エドワードは思い出したように釘をさした。
「そうだ。大佐たちには言うにゃよ!」
「なんで!? ずっと猫のままでいるつもりなの!?」
 食ってかかる勢いで詰め寄られ、エドワードは驚いてわずかに身を引いた。
「そうじゃにゃいけど……なんか、こんなの知られたらかっこ悪いじゃん」
 最後のほうは小声になってしまったがアルフォンスにはちゃんと聞き取れようで、ものすごい剣幕で怒鳴られた。
「カッコいい。悪いの問題じゃないでしょ!!」
「うにゃ……」
 怒られて、エドワードの耳としっぽがしょげたようにへなっとたれる。それを見てアルフォンスは呆れたため息をつく。
「……とりあえずご飯にしよう」


「はい兄さん」
 コトリ、と床の上に置かれた白い陶器でできた浅めの皿を見て、エドワードはきょとんとした――皿の中身は空っぽ。
 そしてアルフォンスの手にはガラス製の瓶が握られていた。
 ガラス製の瓶の口が手からはみ出て見えるだけで、中身までは判断がつかないがおそらく液体だろう。
 ……いやーな予感。
「なあ、アル。……なんだコレ」
「なんだって……見てわかるでしょ。兄さんのご飯だよ」
 そういってエドワードにわかるようにガラス瓶を軽く振って見せる。
「子猫のご飯っていえば、牛乳が定番でしょ」
 さらっといわれてエドワードがぶち切れた。
「牛乳にゃんて飲めるかー!!」
 目の前に置かれた皿のふちに両手をかけ、勢いよくひっくり返す。
「ああっ!」
 しかし所詮は子猫の力。
 アルフォンスが慌てた声を出しはしたが、結局皿は割れることなくひっくり返って転がっただけだった。
「ダメじゃない、そんなことしちゃ」
 ひっくり返った皿を元の位置に戻す。そんなアルフォンスを横目で見ながらエドワードはぷいっとそっぽを向いて、
「牛乳にゃんて持ってくるのが悪い!」
「もう、わがままなんだから」
 二人がそんなことを言っていると、ノックとともに宿屋の主人の声が聞こえた。
「あんたらに客が来てるぞ」


 呼び出しを受けて、アルフォンスが一人で宿屋から出てきたとき、ハボックは車にもたれて煙草をふかしていた。
「ハボックさん。ボクらに用ってなんですか?」
 外に出てきたアルフォンスに気付いてハボックがこっちに顔を向けてくる。が――エドワードの姿がないことに気付いて辺りを見回した。
「なんだ、お前一人か? エドはどうした? どっか具合でも悪いのか?」
「いえ、そういうワケじゃない……ような、そうなような……」
「?」
 アルフォンスの微妙な言い回しに疑問符を浮かべるハボック。
「兄さんのことはひとまず置いといて! ボクらに用があったんじゃないんですか!?」
 大声で誤魔化して話しをふってやると、ハボックは思い出したようにぽんと手を打ち合わせた。
「あ、そうそう。大佐が呼んでるんで迎えに来たんだ。なんでも、ちょっと人手が足りないらしくてさ」
 それを聞いてアルフォンスは心底慌てた。
(なんてタイミングの悪い!)
 ハボックに、そして大佐にエドワードのことを素直に言うべきか悩む。
 悩んだ末にアルフォンスが出した結論は――
「兄さん今、部屋にいるんでちょっと来てもらえます?」


 『それ』を見たハボックの笑うこと笑うこと。
 隣で見ていたアルフォンスが思わず部屋の隅で頭を抱えてしまう程だった。
「なんだコレ〜!」
 子猫になってしまったエドワードを指さしてげらげらと笑う。
 最初こそ嫌そうに耳を伏せていたエドワードだったが、だんだん腹が立ってきた。
「うるさい! 好きでなったんじゃにゃい!!」
 ばしっ!
 エドワードの怒りのネコパンチが、ハボックの右頬をしっかりととらえた。
「いてッ!」
「兄さん!」
 三本の爪痕がくっきりとその頬に刻まれる。
 ハボックの小さな悲鳴と、アルフォンスの慌てた声が重なった。
「しつこく笑うからだ!」
 自業自得だ、とばかりにふんと鼻を鳴らすと、
「悪い悪い」
 エドワードの怒りように、ハボックは笑いながらあやまった。


 ひとしきり騒ぎがおさまった後。ハボックは大佐の用件を手短にふたりに伝えた。
「ボクらが行っても……」
「つーか、今のオレが行っても足手まといににゃるだけだろ?」
「……妙にしゃべり方がかわいいな」
 ヘンなことに感心するハボック。
「…………にゃにに感心してやがる」
 エドワードの地を這うような声とともに爪を立てた手が静かに持ち上がったのを見て、ハボックは慌てて真面目な顔で、
「だったら、アルフォンスだけでも来るか?」
 エドワードに引っ掛かれた右頬の傷を撫でながら言う。
「でも……今の兄さんを一人置いていくって言うのも、ちょっと……」
「うーん……しかたがない、二人とも一緒に来い。猫の一匹や二匹邪魔にはなんないだろう」
 ハボックにそういわれてエドワードとアルフォンスは、困ったように顔を見合わせた。


 ハボックに連れられてしぶしぶ東方司令部に来た二人。嫌がるエドワードをなだめすかして、アルフォンスはロイとホークアイに一連の出来事をかいつまんで説明した。
 その説明を一部始終黙って聞いていたロイが急に椅子から立ち上がったかと思うと、机の上にちょこんと座らせていたエドワードの猫になった小さな身体をそっと両手で抱き上げた。
「鋼の……」
「……にゃんだよ?」
 その語尾が不自然に震えているのを警戒しながら、エドワードがロイを見上げて返事をする。
 次の瞬間――
「鋼の〜v かわいいよ」
 ロイがすりすりとエドワードに頬擦りをした。
「やめろって!」
 力任せに頬擦りされて嫌がるエドワード。
 そこにホークアイの冷たい突っ込みが入った。
「大佐。エドワード君を潰す気ですか!」


「かわいそうですが、戦力にはなりそうもないのでエドワード君にはここで留守番をしていてもらいましょう」
 冷静に淡々とそう告げるホークアイ。その横でロイが、
「いや。何かの拍子で元に戻るかもしれないからね。とりあえず連れて行こうか」
 眠ってしまったエドワードを車のシートからそっと抱き上げて自分の肩の上に乗せる。それを見たホークアイは疲れたように人差し指でこめかみを揉んだ。
「ごめんなさい。やっぱりボクら邪魔にしかならな――」
「いいのよ。アルフォンス君が悪いんじゃないわ」
 あやまってくるアルフォンスの言葉をさえぎってホークアイが優しく微笑んだ。
 事件の現場に到着したのはロイたちのほうが早かったようだ。ほかのメンバーはまだ到着していない。
「ぁふ……」
 車とはちがう揺れを感じて目を覚ましたエドワードが、ロイの耳元で小さく欠伸をする。
「起きたのかい? 鋼の」
「……もう着いたのか?」
「ああ」
 寝起きのとろんとした口調で聞いてくるエドワード。ロイはそれに答えてやりつつ手を伸ばして子猫の頭を撫でた。それをうるさそうに小さな前足であしらうエドワード。どうやらまだ眠いらしい。
 ロイの頬が思わず緩む。
 でれでれと笑いながらエドワードの金茶色の毛並みを撫でているロイを横目で見ながら、ハボックが困ったようにホークアイに尋ねた。
「……中尉。どーしますアレ」
 ハボックが指差すほうをちらり、と一瞥してからホークアイは冷たく言った。
「放っときましょう」
 そして、遅れてやってきたメンバーにてきぱきと指示を出し始める。
 しばらくロイとホークアイの顔を交互に見ていたハボックだったが、ふっと肩をすくめるとため息をついた。
「やれやれ……」
 そのハボックの後ろで、アルフォンスが申し訳なさそうに頭を下げていた。


end