天使は空からふってくる
〜第六話〜

「ねえ、お兄ちゃんは天使さまなの?」
「えっ!?」
 その少女の言葉に、エドワードはぎくりと身体をこわばらせた。

◆◆◆


「ん〜……朝?」
 まだ眠い目を手でこしこしこすりながら、エドワードはもそもそと毛布の中から顔を出した。寝ぐせでぐしゃぐしゃになった蜂蜜色の長い髪をうるさそうに手で撫でつけ、ぼんやりと室内を見回す。
 カーテンの隙間から見えた外の景色は昨日とはうって変わって、晴れ渡ったきれいなスカイブルー。
 昨日から降り続いていた雨は、どうやら夜のうちにやんだようだ。
 窓から見える青空に、エドワードはパジャマのままでベッドから飛び降りると、窓辺に駆けよって大きく窓を開け放った。
「わー、よく晴れたな〜」
 窓から差し込んでくる朝日をうけて、エドワードの背中に生えている片翼の白い羽根がきらきらと輝く。
 ばさり。と翼をはばたかせ、両腕を伸ばしてうーんと大きく伸びをひとつ。
「いい天気だなー。……そうだ!」
 何を思いついたのか、エドワードは窓を閉めると上機嫌で自室から出ていった。
 パジャマのまま部屋を出て、エドワードが真っ先にやってきたのはロイの部屋。
 とっくに起きていたのか、いつもの普段着に着替えたロイに出迎えられて部屋の中に入ったエドワードはさっき思いついたことをさっそくロイに話した――しかし、その思いつきはロイの一言によってあっさりと却下されてしまった。
「えーっ!? ダメ?」
「ああ」
「むう〜。ロイ仕事休みだって言ってたから、いい天気だし一緒にどこかに出かけようかと思ったのに〜」
 不服そうに頬を膨らます。そのしぐさが妙に子供っぽくって、ロイは思わず苦笑をもらした。
「すまない。今日中に仕上げなければいけない仕事が入ってしまってね」
「……仕方ないか……ロイは色々と忙しいもんな。お医者さんだし」
 まだ少し残念そうにしつつも、エドワードはにこっと笑って見せた。
「すまない」
 そのエドワードの頭をそっと撫でてやりながら、ロイはもう一度、おなじ言葉を繰り返した。


 ――しかし、こんなにいい天気の日に書庫にこもって本を読む。と言うのもどこかもったいない気がする。
 二人で朝食を済ませた後、エドワードは窓枠に頬杖をつきながらリビングの窓からぼんやりと外を眺めていた。その後ろのテーブルでは、ロイが朝食後のコーヒーを飲みながら、新聞の活字を目でおっていた。
(そういえばオレ、裏手にある森ってまだ行ったことないな……)
 一度そう思うと、なぜか妙に行ってみたくなってくる。
(い、行ってみたい……)
 うずうずしながら肩越しにちらりとロイの様子を窺うと、ロイは相変わらずコーヒーを口に運んでいた。
「なあ、ロイ。オレちょっと散歩がてら裏の森まで行ってくるよ」
 何気なくそう切り出す。
 ロイは別段反対するでもなく、新聞のページをめくりながら、
「エド。外に出るのなら、ちゃんと翼はしまっていきなさい。誰かに見られると色々と厄介なことになる」
「うん、わかった」
 言うが早いか、エドワードはだしていた片翼をしまった。そして、椅子の背にひっかけていた赤いコートを手に取り、今着ている丈の短い黒い上着の上にさっと羽織ると元気よくリビングから飛び出した。
「じゃ、いってきます!」


 ロイの屋敷の裏手に広がる森。
 この屋敷から見て、見える範囲の森、ほぼすべてがロイの家の土地らしい。
 玄関からぐるりと回って庭へと出たエドワードは、最短距離で庭を横に突っ切ると屋敷のすぐそばまで伸びている小道から森の中へと入っていった。
 赤や黄色に紅葉している木がはらはらと木の葉を落とし、時折、鳥の鳴く声が聞こえる静かな森。
 茂った木の枝の隙間から漏れる太陽の日差しを浴びながら、地面の上に絨毯のように敷き詰められた落ち葉の上をエドワードはのんびりと歩いていた。
 自分が落ち葉を踏みしめる音を聞きながら、ものめずらしそうにきょろきょろと辺りを眺める。
「ん?」
 ふいに木々が途切れ、視界が開ける。
 エドワードがたどり着いたのは森の中にある開けた場所だった。ちょっとした広場ほどの広さの空間の所々に大小さまざまな大きさの岩が転がっている。
 エドワードは、その中の一番大きな岩の上に腰を下ろして頭上を見上げた。
 遙か上空に青い空が見える――色とりどりに紅葉した木々の枝の向こうに見える白い雲と、青い空。
 肺いっぱいに、森の匂いのする空気を吸い込み――吐き出す。
「う〜ん。気持ちいい……ロイもくればよかったのに――ってムリか、仕事あるって言ってたし」
 少し冷たい森の空気と心地よい開放感につられて、エドワードは岩に腰をおろしたままばさりと片翼を出すと翼を大きく広げて何度か強くはばたいた。翼から抜け落ちた白い羽根が、エドワードの右側の翼がまきおこす風にあおられてふわり、と宙を舞う。
「家の中じゃあ、なかなか思いっ切りはばたけないもんなぁ、部屋の物が飛んじゃうし」
 と、苦笑しながらエドワード。
 足元まで飛んできた自分の羽根を座ったまま拾い上げようとして――
 パキッ!
(!?)
 誰かが小枝を踏み折る音に、エドワードは慌てて翼をしまった。
 急いで顔を上げて音のしたほうに目をむけると、木の陰に隠れるようにして10才ぐらいの栗色の髪をポニーテールにした少女が呆然と立ち尽くしていた。
 少女は、自分が着ているオレンジ色のワンピース――どこかで転びでもしたのか、スカートの裾には土と枯葉が引っ付いていた――のスカートを両手でぎゅっと握りしめて、じっとエドワードを凝視している。驚きのためか、ブラウンの瞳をまん丸に見開いたまま、瞬きもしない。
(まずい! 翼、見られたかな?)
 内心、冷汗をかきながらエドワードが口を開くよりも早く、正気に返った少女がスカートから手を離し、ぐっと両のこぶしを握り締めると勢い込んで聞いてきた。
「ねぇ、お兄ちゃんは天使さまなの?」
「えっ!?」
 その少女の言葉に、エドワードはぎくりと身体をこわばらせた。
(ひょっとして翼をしっかり見られてる!?)
 その場で固まったままのエドワードにむかって、少女は早口でまくし立てた。
「ねえ、天使さまなんでしょ? あたし見ちゃったもの! 一瞬だけど、おにいちゃんの背中に真っ白い羽が生えてたの!」
(げげっ!!)
「えっ……いや、それは……」
 気まずげにもごもごと口ごもるエドワードを無視して、少女はさらに言葉を続けた。
「うわ〜夢みたい。本物の天使さまに会えるなんて! あたしずっと信じてたんだ。天使は本当にいるんだって!!」
 乙女チックに胸の前で両手を組み、明後日の方向に視線を向けて(一体どこを見ているのか不明だが……)なにやら一人で熱く語る少女。彼女がふるふると頭を左右に振るたびに、その動きにあわせて栗色のポニーテールが揺れる。
「そりゃ、まあ……友達は誰も信じてくれなかったけどさ……でも、ここに本物の天使がいるんだし、自分の目で見れば絶対あたしが言っていたことが本当だって信じるわよ!」
(どうしよう…………この子なんかヤバイよ……)
 一人で勝手に盛り上がって喋りまくる少女を怯えた目で見ながら――エドワードは出かける前にロイに言われたことを思い出した。
 ――外に出るのなら、ちゃんと翼はしまっていきなさい。
 誰かに見られると色々と厄介なことになる――
(ああ、ちゃんとロイに言われていたのに……)
 エドワードは唇を噛み締め、自分の迂闊さを心底呪った。


 一方その頃。
 家にいるロイはというと、
「………………」
 今日中に仕上げなければならないはずの仕事をするために書斎の机の前に座ったものの――全然仕事が進んでいなかった。
 エドワードが『ちょっと散歩がてら裏の森まで行ってくる』といって家を出て行ってからかれこれ二時間近く経っている。にもかかわらず、いっこうに帰ってくる気配のないエドワードのことが気になって気になって……まったく仕事が手につかない。
「……一体何をやっているんだ、私は」
 自分で自分に呆れた。
「そろそろ昼か……エドを迎えにいくか」
 誰が聞いているというわけでもないのに、ロイは言いわけめいたことを口にしながらペンを机の上に置くと、さっさと書斎から出て行く。途中で壁にかけてあったコートを拾うと、足早に玄関へとむかった。


 子供の頃から遊び慣れた屋敷の裏手に広がる森の中を、ロイはまったく迷いのない足取りで進んでいく。
 エドワードがこのルートで森に入っていったことは、リビングの窓から見ていたので確認済み――このルートだと、とくに脇道もなく開けた場所まで出るだろう。
「問題は、そこから道が多少分岐していることか……まあ、なんとかなるかな」
 落ち葉を踏みしめながら早足で進むと、木々の向こうに目的の場所が見えてきた。
 それと――なにやらやけに騒々しい声も。
「…………!」
「…………っ!」
 静かな森に似つかわしくないその声は、ロイが目的の場所に近づくにつれだんだんはっきりと話の内容が聞き取れるほどになってきた。
「ちょっとぐらい、いいじゃない!」
「だから、ヤだってば!」
 どうやら、子供が二人でなにやら言い合いをしている様子――
「――ってエド!?」
 片方の声には聞き覚えがある――というか、たった今、自分が迎えにいこうとしている少年の声だ。
「!!」
 ロイは慌てて走り出した。
 落ち葉を蹴り散らし、低い位置にある枝を払いのけながらエドワード(と、もう一人)がいると思われる場所へと急ぐ。
 目的地に駆け込む直前――岩の上に腰掛けたエドワードの左腕を両手でがっちりと掴んでぐいぐいと力任せに引っ張っている栗色のポニーテールの少女と、それを必死に踏ん張ってこらえているエドワードの姿がロイの目に飛び込んできた。
(なんだ!?)
 一瞬。その光景を訝しんだが、ロイはそのままスピードを緩めずにエドワードたちがいる場所へと駆け込んだ。
 がさがさっ!
「!?」
「!?」
 突然現れたロイに驚いたのか、今まで大声で言い争っていた二人は、ぴたりと同時にその動きをと止めた――そして、ロイの存在を認識した途端。
『あっ』
 エドワードの口からは安堵の、少女の口からは困惑の、声が上がった。
(ロイ、助けてよ〜)
 少女の扱いにほとほと困り果てていたエドワードが、情けない顔でロイに助けを求める。ロイはその視線に頷いて応えると、いまだに少年の腕をしっかりと掴んで放さない少女のもとへと近寄った。
「こんなところで何をしているんだいエミリー?」
 上から見下ろすようにして咎めるような口調でそう言うと、エミリーと呼ばれた少女は、びくりと肩を揺らし、おずおずとロイの顔を見上げた。
「せ、先生……だってみんながあたしの言うこと信じてくれないから、だからあたし証拠を見つけようと思って……」
「証拠?」
 しどろもどろに言いながらも、エドワードの左腕を掴む手の力は緩まない。それどころか、かえって強くなっている気さえする。
「いててっ!」
 腕を少女に力いっぱい掴まれて、エドワードは思わず痛みに顔をしかめる。しかし、エミリーはエドワードの様子には目もくれず、声を荒らげた。
「だって! 天使は本当にいるんだって言っても、誰もあたしの言うことを信じてくれないんだもん!!」
「………………」
 ロイはしばらく黙って上からエミリーを見下ろした後、深々と嘆息した。
「……エミリー。夏にこの森で迷子になった時に私とした『約束』を覚えているかい?」
 その一言に、エミリーはうっと言葉に詰まって――気まずげにロイから目を逸らした。
「……一人で、森に入らないこと」
「なぜ『約束』を守ってくれなかったのかな?」
 膝に手をつき、少し屈み込んで姿勢を低くすると、ロイは諭すようにエミリーのブラウンの瞳を覗き込んだ。
「だって先生……」
「だって?」
「みんな天使なんていないって言うのよ。ほら! ここにちゃんと本物の天使さまがいるのに!!」
 エドワードの腕をぐいぐい引っ張りながら、自信満々に胸を張るエミリー。
「………………」
(助けて〜)
 そして『天使さま』本人はというと、心底困り切った顔で視線だけで必死にロイに助けを求めていた。
「……あのね、エミリー、その子は私の患者なんだ。手を離してあげてくれないかな?」
「えっ!?」
 深々と嘆息しながらそう告げるロイの言葉に、エミリーは不思議そうな顔で目をぱちくりさせた。
「え? だってあたし、ちゃんと……? でも先生が……あれ?」
 疑問符を浮かべ、目を白黒させて混乱する少女。パニックになりながらエドワードとロイの顔を交互に見比べて――
「……本当に?」
 そのエミリーの問いにロイは真面目な顔で頷いた。それにならってエドワードも慌ててこくこくと頷く。
(オレ……天使だけど、ロイに怪我を診てもらってたから、一応……患者だよな? ウソは言ってないよな?)
 ちょっとかわいそうな気もしたが、仕方がない。と思い直してエドワードはだんまりを決め込んだ。
「…………」
 しばらく思案顔で考え込んでいたが、エミリーは――騙されているようでどこか釈然としないものの――しぶしぶと掴んでいたエドワードの左腕から手を放した。
 やっと開放された左腕をさすりながら、エドワードは座っていた岩の上から立ち上がると、エミリーに気付かれないようにさり気なくロイの側まで移動する。
 それを横目で見ながら、ロイはエミリーの頭にぽんと手をのせた。
「エミリー。私もエミリーの言うとおり、天使はいると思うよ」
 そういって優しく少女の頭を撫でる。途端に少女の顔がぱっと輝いた。
「本当!?」
「ああ」
 ロイの言葉に満足したのか、
「それじゃ先生、あたし帰るね。お兄ちゃんもバイバイ!」
 エミリーは嬉しそうにエドワードとロイにむかって大きく手をふると――さっきまでのことはもう忘れたのか――そのまま森の外へと続く道を出口に向かって駆け出した。
 帰っていくエミリーの姿が見えなくなるまで見送ってから、ふたたび静かになった森の中。ロイは自分の横に立って少女が帰っていった方角をぼんやりと見ているエドワードに話しかけた。
「遅くなってすまなかった。エド、――」
 まだ何か言おうとしたロイのセリフを、途中で遮り、
「助けてくれてありがとうな。ロイ」
 そう言ってにこっと笑う。
「さ、帰ろ。オレおなかすいちゃった」
 そんなエドワードののんきなセリフにロイは思わず吹き出した。
 先に立って歩く少年を追いかけるようにして、ロイも歩きだす。しばらく歩いてから、エドワードはふと、思い出したようにロイのほうを振り返ると、
「そういえば、仕事終わったのか?」
「うっ」
 エドワードにそう聞かれて、ロイは思わず小さく呻いた。
「なに? オレなんかヘンなこと聞いた?」
 きょとんとした顔でこっちを見ているエドワードの顔からさりげなく視線を逸らすと、ロイは少年の問いには答えずに、速度を速めて歩きだした。
「さ、早く家に帰ってお昼にしよう」


→ It continues.