天使は空からふってくる
〜第五話〜

「ただいま」
 そう言いながら玄関の扉を開けたロイは、目の前で繰り広げられている光景に首をかしげた。
「ん?」
 玄関ホールでは、何かを大事そうに胸に抱えたエドワードが、どうしよう、どうしようと言いながらオロオロと右往左往していたのだ――ロイが帰ってきたことにも気がつかない動転ぶりである。
「何をしているんだエド?」
 きょとんとした顔のロイにそう尋ねられて、そこではじめてエドワードはロイが帰ってたことに気がついた。
「あっ、おかえりロイ! よかった〜どうしようかと思ってたんだ」
 ほっとした顔でぱたぱたと駆け寄ってくる。少年が大事そうに胸に抱えていたもの――タオルに包まれた子ネコに目をやって、ロイは目を丸くした。
「ネコ?」
 エドワードはオロオロしながら早口で事情を説明した。
「こいつ、昼前に庭の木の下でうずくまってたの見つけたんだけどさ、全然元気ないし、牛乳やってみたけど飲まないし、どうしたらいいかわかんなくて……」
 エドワードの腕の中から子ネコを抱き上げるとざっと診て、
「外傷はなさそうだな。風邪……のようだが……」
「わかんの!?」
 がばっと顔を上げて、期待のこもった眼差しでロイを見上げてくる。その視線からさりげなく目を逸らしながら、
「先に言っておくが、自信はないぞ。私は人間の医者であって、動物の医者ではないからな」


 リビングのソファに座り、自分の膝の上にタオルに包んだ子ネコをのせてその様子を見ながら、ロイはほっと息を吐いた。
「症状も軽いみたいだし、食欲も少しある。一晩休めば大丈夫だろう……この子ネコが死んでしまったりしたらエドが泣くしな」
 ぽつりと自分の口から出た言葉――そんな事を思う自分に思わず笑がこみ上げた。
 いつの間にか自分の生活はエドワードを中心に回っているようだ。しかも、こんなふうにエドワードに振り回されることを楽しいと感じている自分を自覚して、思わず苦笑する。
「ずいぶんと君に依存してしまっているな……」
 ばたばたばた。
 廊下から騒がしい足音がしたかと思うと、風呂上りのエドワードがタオルを首にかけたままでリビングに飛び込んできた。ろくに拭いていない蜂蜜色の髪からぽたぽたと雫が落ちて、パジャマの肩が濡れている。背中の翼もあまり拭いていないのか、エドワードがばさりと軽くはばたくと、翼に残っていた水分が辺りに飛び散った。
「髪ぐらいちゃんと拭いてきなさい。風邪を引く」
「うん。あとで〜」
 ロイの注意もそっちのけで、エドワードはソファの前に膝をつくと、ロイが膝の上にのせている子ネコを心配げに覗き込んだ。
「エド」
「…………」
 もう一度、今度は強めに名前を呼ぶが、完全に無視されてしまった。
「やれやれ……」
 子ネコに気を取られたままいっこうに自分の髪を拭こうとしないエドワードに嘆息すると、ロイは手を伸ばしてエドワードが首にかけていたタオルを取り上げて蜂蜜色の髪を丁寧に拭きはじめた。


 リビングの壁にかかった時計の針が深夜を指す頃。
 子ネコの様子を見ながら、何度も眠たそうに大きなあくびをするエドワードを見かねてロイが口を開いた。
「エド、もう寝たらどうだい? 子ネコは私が見ているから」
 しかし、エドワードはぷるぷると首を横に振ると、きっぱりと、
「やだ! それに、それじゃあロイが寝れないじゃん。そうだ! オレが子ネコ見てるからロイは寝ていいよ」
 名案を思いついた、とばかりにエドワードはぴっと立てた人差し指を左右に振りながら得意げにそんな事を言う。それを見たロイはにやりと笑って意地悪く聞き返した。
「本当に、私が部屋に戻ってしまってもいいんだね?」
「うっ」
 途端に言葉に詰まる。
 よく考えたら、ロイが帰ってくるまでの間。エドワードができた事といえば、タオルに包んだ子ネコを抱いて、右往左往することだけで――
 途端に情けない顔になったエドワードの頭をぽんぽんと軽く叩いて、ロイは安心させるように優しく笑って見せた。
「大丈夫。子ネコはちゃんと私が見ててあげるから」
「う〜っ」
 まだ何か言いたそうなエドワードは、何度かロイの顔と子猫の顔を交互に眺めていたが、しばらくして――
「そうだ。ちょっと待ってて!」
 また何か思いついたらしい。ばっと勢いよく立ち上がると、ぱたぱたと走ってリビングから飛び出していった。
 開けっ放しのリビングの扉から、ごそごそとなにやら物音が聞こえる。
 ロイが不思議そうに首をかしげていると、エドワードが毛布を抱えて戻ってきた。
「お待たせ」
「?」
 ロイが何か口を開くよりも先にエドワードは持ってきた毛布を、ソファに座ったままのロイの頭の上からばさりとかぶせた。そして自分もロイの横にちょこんと腰を下ろすと、その毛布を半分引き寄せて一緒に包まる。
「これだったら、ここで寝たって平気だろう?」
 そういってロイの顔を見上げると、エドワードはへへっと笑った。
 ロイは一瞬、きょとんとして――それから笑い出した。
「はははっ。確かにそうだな」
 一つの毛布に包まりながら肩を寄せ合って、エドワードとロイは子ネコの容態を見守った。
「この子ネコ、元気になるかな?」
「きっと大丈夫だ」


 ――翌朝。
「あっ。こら!」
 リビングからは、昨日とうって変わって元気な声が響いていた。
「待てって!」
 エドワードは、自分の足の間をすり抜けるようにしてリビングの床を走り回る子猫を何とか捕まえ、首根っこを摘み上げた、しかし、子ネコは嫌がってけりけりと自分の首を捕まえているエドワードの手を後ろ足で蹴りつけて、必死に逃れようともがく。
「いててっ、こら! 大人しくしてろって!」
 子ネコ相手に文句を言っているエドワードの肩越しに、その手元を覗き込んだロイが冷静に状況を分析して、一言。
「エドの持ち方が悪いから、嫌がっているだけだろう」
「そんなこと言ったって……いててっ!」
 また子ネコに蹴られたらしいエドワードが、しかたなく逆の手に子ネコを持ち替えて、
「だってコイツ。ほっとくとそこら辺走り回るんだもん。蹴っちゃいそうで怖いよ」
「元気になってなにより」
「元気になりすぎ」
 すると、少し大人しくなっていた子ネコが急に暴れだした。
「あっ!」
 激しく暴れエドワードの手から逃れると、今度は一直線に窓辺に駆け寄り窓枠をカリカリと引っかき始める。
「? 外に出たいのかな?」
「ああ、あれか……あそこを見てごらん」
「?」
 ロイに促されて指差すほうを見てみれば、そこには一匹の大人のネコが庭の茂みの中からごそごそと姿を現した。
「! ひょっとしてコイツの親かな?」
「おそらく」
 ロイがそっと鍵を開けて窓を開け放つと、子ネコは呼ぶような声でみゃぁ、と鳴いた。その声に気がついたのか、庭にいたネコがこっちの窓めがけて駆け寄ってきた。
「やはり親子だったようだね」
 子ネコの体を舐めてやるネコを見ながらそう言うと、エドワードもこくんと頷いた。
 ――しばらくすると、親ネコに促されるようにして子ネコは窓から外へと出て行ってしまた。部屋から出て行く直前、ふと足を止めてエドワードの手にすりすりと顔をすり寄せると、子ネコは名残惜しそうににゃぁ、と一声鳴いてから親ネコの後を追いかけていってしまった。
「……いっちゃった」
 思わずぽつり、と呟いたエドワードに、ロイが聞いてきた。
「寂しいかい?」
「んー、ちょっとは。でもロイがいるから全然へーき。それともロイは寂しい?」
 逆に聞き返されて、ロイは面食らった顔でエドワードの顔をまじまじと見つめた――しかし、すぐに笑って首を横に振る。
「いいや。私もエドがいるから寂しくないよ」
 手を伸ばしてエドワードの頭をなでなでと撫でる。そのロイの優しい手にエドワードは嬉しそうに目を細めた。
「なあ、あの子ネコまたここに来るかな?」
「たぶん来るだろう。どうやらあのネコはこの辺りに住み着いているノラのようだしな」
 それを聞いてエドワードはぐぐっと、こぶしを握り締めた。
「よーし! 今度来たら遊びたおしてやる!」
「ほどほどにしておきたまえ。……ネコがかわいそうだ」
 後から付け加えられたその一言に、エドワードはむっとむくれてロイを見上げた。
「それってどういうイミ?」
「そのままのイミだ」
 ぷうっと頬を膨らませるエドワードを見て、ロイは思わず笑った。


→ It continues.