天使は空からふってくる
〜第一話〜

 開けたままだった書斎の窓から吹き込んできた秋風が、ふわりとカーテンを揺らした。その風に、机の上に広げられた数枚の紙がふわりと飛びそうになる。
「おっと」
 舞い上がりかけた書類を空いているほうの手で押さえて紙面から顔を上げたのは、闇色の髪に黒い瞳の青年だった。
 彼――ロイは、持っていたペンを机の上に置くと空いている方の手で出来上がったばかりの書類の束を手早くまとめ始めた。風に飛ばされないように机の引き出しに書類の束を片付けてちょうど一段落した作業の手を止めた。
 組んだ両手を、手のひらを前に突き出すようにして伸ばし、うーんと大きく伸びをしてから、
「もうこんな時間か……」
 少し休憩しようかと椅子から立ち上がったロイは窓の外の景色に目をとめた。
 日が沈んだ後の夕焼けの空は、朱色から徐々に藍色へとその姿を変えていく途中だった。
 書斎の窓から吹き込んできた風に誘われるようにして部屋を出ると、ロイはその足をまっすぐバルコニーへと向ける。二階の階段を上りバルコニーへと続く扉を押し開けると、少しひんやりとした風が室内に吹き込んでくる。
 黒髪が風で乱れるのも気にせず外に出ると、見えてきたのは夕焼けの朱色の名残を残した藍色の空と、屋敷の裏手に広がる一面の森。
「だいぶん風が冷たくなってきたな……」
 手すりにもたれながら、子供の頃から見てきた景色――屋敷とともにロイが先祖から受け継いだ土地だ。もっとも、ただ森が広がるばかりで何もない場所ではあるが――をぼんやりと眺めていると、
 ひらり。
 何か、白いものがふってきた。
 足下に落ちたそれを拾い上げてしげしげと眺めて、思わず首をひねる。
「白い羽根? 一体どこから?」
 ロイがきょろきょろと辺りを見回していると、ふっと頭上に影が落ちてきた。
「?」
 上を見上げると、空から人影がふってきた。
 子供――少年だ。背中に白い翼の生えた少年が、白い服の裾を風にはためかせながら、まっすぐこちらに向かって落ちてくる。
「ええっ!?」
 驚きながらも、ロイは空からふってきたその少年の身体を両手を大きく広げて抱きとめた。
 どすん、という衝撃とともに腕のかかった重みに数歩たららを踏む。
「いたたたっ……何なんだ一体!?」
 何とか体勢を立て直し、あらためて自分の腕の中で気を失っている小柄な少年に視線を落とせば、蜂蜜色の長い髪と真っ白な翼が目をひいた。それと――血の赤。
「血!? 怪我をしているのか!?」
 慌ててその身体をうつぶせにして背中を見てみると、翼の片側――左側に生えている翼がもぎ取られるようにして付け根からなくなっていた。
 傷口はまだ新しい――傷口から流れ出した鮮血が白い服を赤く染めていく。
 ロイは自分の服が血で汚れるのも気にせず、怪我をしているその翼の生えた少年をしっかりと抱きなおすと慌てて家の中へと駆け込んだ。


 一階にある客室へと少年を運び込むと、ロイは手際よく傷の手当てを始めた。
「自分が医者でよかったよ。まったく……」
 傷口に丁寧に包帯を巻き、血で汚れてしまった服のかわりに――サイズは幾分大きめだが――自分のパジャマを着せる。
 背中の傷に負担がかからないように少年をベッドにうつぶせに寝かせると、ロイは部屋の隅に置いてあった椅子をベッドの脇に置き、そこに腰をおろした。
「これは……やはり天使なのだろうか? この翼……本物の鳥の翼のようだ」
 そっと手を伸ばして、少年の背中に生えている怪我をしていないほうの翼を指先で触りながらロイが困惑していると、
「……ぅ」
 気がついたのか、少年がかすかに呻いた。
「気がついたかい?」
 顔を覗き込むようにして声をかけると、その声で目が覚めたのか少年はがばっと勢いよく起き上がりかけて――うっと激痛に呻いた。
「急に動くと傷口が開いてしまうよ」
「……ここは?」
 首だけを回して室内を見渡すと、椅子から腰を浮かしかけたロイにそうたずねる。
「ここは私の家だよ。空から突然、怪我をした君がふってきたんだが……覚えているかい?」
 少年に手を貸してベッドの上に座らせてやりながら、その金色の瞳を覗き込むようにして聞くと、
「……思い出した」
 少年は自分の身体に巻かれた包帯を指先で触って、呆然とした声で呟いた。
「君、えーっと……」
「エドワード」
「エドワード君か」
「エドでいいよ。みんなそう呼ぶし」
「じゃあエド。少し聞きたいことがあるんだが……かまわないかい?」
「なに?」
 きょとんと聞き返されて、ロイは少し口ごもるようにしてから、
「エドは、その……天使、なのか?」
「そうだよ」
「なぜ空からふってきたんだい? その背中の怪我に関係があるのか?」
「………………」
 そう聞かれた途端――エドワードは暗い顔になって黙り込んでしまった。どうやら触れられたくないことのようだ。
 ロイはふっと表情を和らげると、安心させるように優しく言った。
「言いたくないのならばそれでいい。ムリに聞こうとはしないから」
 手を伸ばしてエドワードの頭をなでなでと撫でてから、
「怪我が治るのまでここにいるといい」
 そう言ってベッドの側から離れていこうとしたロイを、エドワードが慌てて呼び止めた。
「あっ、ちょっと! えーっと……」
「何だい?」
 ロイが立ち止まり、こっちを振り返ってきたのを確認して、今度はエドワードが尋ねる。
「あの……名前は?」
「ああ、すまない。言ってなかったね私の名はロイだ」
「他の家の人は?」
「私はこの家に独り暮らしなんだ。気にせずにゆっくりと休むといい」
「あ……うん」
「それだけしゃべれるなら大丈夫だろう。何か作ってくるから少しでも食べたほうがいい。食べられない食べ物とかはあるかい?」
 そう聞かれてエドワードは間髪入れずに即答した。
「牛乳!」
「牛乳?」
 きょとんと聞き返されて、エドワードはぶすっとした顔で、
「……悪いかよ?」
「いいや別に」
 そう答えるものの、ロイの目が笑っている。
「他に食べれないものは?」
「ない」
「わかった。エドは少し眠るといい」
 エドワードの頭を軽く撫でてから、ロイは部屋から出て行った。
「………………」
 ロイの足音が聞こえなくなるまで扉を見つめていたエドワードは、ベッドの上で膝を抱えると、その上に顔を伏せて目を閉じた。


→ It continues.