「えっ? 大佐が怪我!?」
ハボックからその話を聞かされたのは、エドワードが東方司令部に来てすぐのことだった。
たった今、汽車でイーストシティに戻ってきたばかりのエルリック兄弟が街の状態など知るはずもなく……『先に東方司令部のほうに顔を出してきたほうがいいんじゃない?』と弟のアルフォンスに勧められ、荷物と宿の確保をアルフォンスに任せて東方司令部に来てみれば、入り口で偶然会ったハボックから思いも寄らない話を聞かされたというわけである。
「昼間にちょっと事件があって、そのときに市民を庇って大佐が負傷してさ」
「大佐の怪我。酷いのか?!」
咥えタバコをゆらしながら詳しく状況を説明してくれるハボックに思わず詰め寄る。そんなエドワードのあせった様子にハボックはどう答えたらいいものかとちょっと考えてから、
「犯人に刃物で切りつけられたんだが、なんせ相手が大佐だからな。そんなに簡単に………って、おい!」
その説明を最後まで聞かず、エドワードは話の途中でくるりと背を向けると執務室に向かってダッシュで廊下を駆け出した。
「…………やれやれ」
廊下のむこうに小さくなって消えていく少年の背中を見送りながら、ハボックは呆れたように肩をすくめた。
執務室へと全速力で廊下を走ってきたエドワードは、勢いそのままに乱暴に入り口の扉を開け放つ。
バンッ!
「大佐!! って、あれ?」
勢いよく室内に駆け込んで……エドワードは自分の目を疑った。
ハボックの話から想像していたものとは裏腹に、ロイはいつもと変わらない姿で、いつもどおり奥の机に座って、いつもどおりに書類に埋もれながら、いつもどおりに仕事をしていた。
「――――――」
肩透かしを食らった気分でエドワードがその場に立ち尽くしていると、やけに騒々しく室内に飛び込んできたエドワードに気がついたロイが書類から顔を上げた。
「鋼のじゃないか。どうした? そんなにあわてて」
声から判断してもやはり元気そうだ。
エドワードは内心動揺しながらも、自分が開け放ったままだった扉をちゃんと閉めるとロイの机の前まで歩いていった。
「あっ、その……オレ……」
自分の行動をどう説明しようかと考えながら視線をさまよわせていると、ロイの軍服の左腕の袖からちらりと白いものが見えた。
「その、さっきハボック少尉に会ってさ。大佐が怪我したって聞いたんだけど……」
「ああ、これのことか」
エドワードが言おうとしていることを理解したロイは、エドワードに見えるように腕を持ち上げると左袖を肘の辺りまでめくり上げた。服の下から痛痛しく包帯を巻かれた左腕が姿をあらわす。
「…………」
ロイの腕に痛痛しく巻かれ包帯が目に入った途端、エドワードは眉をきゅっと寄せた。そのままロイの腕に視線を向けたまま気遣うようにたずねた。
「怪我、酷いのか?」
「それほど酷くはないよ。上手く避けたからね」
エドワードの目の前でひらひらと左手をふって見せるロイ。
そのロイの仕草を見て、エドワードの眉間のしわがますます深くなった。悔しそうに唇をかみ締めてわずかに目を伏せる。
(オレが、もっと早くこっちに到着してたら……もし、オレがそこにいたら大佐が怪我することもなかったかも……)
いくら願っても時間は戻らない。それはわかってる。わかってるけど……
「………………」
いまさら考えても仕方のないことが頭の中をぐるぐると回る。
包帯の巻かれたロイの左腕をじっと見つめながら唇をかみ締めているエドワードの様子に気がついて、ロイは苦笑いを浮かべた。
「君が気にすることはない。私の判断ミスの結果だ」
自嘲気味に言って、ロイはエドワードの視線をさえぎるようにめくり上げていた服の袖を戻した。
「鋼の。ここにしわがよっているよ?」
冗談めかして言いながら、机越しに右腕を伸ばしてエドワードの眉間を人差し指でつつく。
「……っ」
ロイの指先が触れた途端、エドワードは思わずぎゅっと目を閉じた。そのまま俯いてしまう。
「おやおや。そんなに私に触れられたのがイヤだったかい?」
笑いを含ませた声音で意地悪っぽく言われて、そのロイのセリフに反応したエドワードがはっと顔を上げた。
「えっ!? いや、そうじゃ……」
もごもごと口ごもる。
「なら、そんな顔しないでおくれ」
ロイは机越しに再び右手を伸ばすと、指先でエドワードの頬に触れる。そのまま人差し指の背でエドワードの頬を撫でながら、
「そんなにも私のことを心配してくれたんだね。嬉しいよエドワード。ここに来るなり大慌てで部屋に駆け込んできたということは、そういうことだと思っていいんだろう?」
期待のこもった眼差しでエドワードを見つめてくる。
そのロイの漆黒の瞳から目を逸らすようにそっぽをむくとエドワードは顔を赤らめながらぽつりとこぼした。
「……そりゃ心配したさ。バカ大佐」
小さな声。しかしロイの耳はしっかりとその言葉を拾い上げた。
頭の中でもう一度繰り返してその意味が理解できた途端、ロイは漆黒の瞳を大きく見開いたが、すぐ嬉しそうな顔になった。
嬉しそうな顔のままロイがちょいちょいと手招きでエドワードを呼ぶ。
「なに?」
わけもわからず呼ばれるままにエドワードは机を回り込んでロイの座っている椅子のすぐ脇に立った。そのエドワードの片手を下から掬い上げるようにして取ると、ロイはその手袋に包まれた手の甲に口付けながら、
「すまなかった。君にそんな顔をさせないためにも、今後は気をつけるよ」
「っ!」
そんなロイの儀式めいた行動に、エドワードは真っ赤になって顔を背けた。
反射的に掴まれたままの手を引き戻しかけて――やめた。そのままロイの好きにさせる。エドワードが手を振り解かなかったことに気をよくしてか、ロイが再び手の甲に唇を寄せてくる。
「……そんな大怪我じゃなかったし。大佐だって色々あるんだし……もういいよ」
「……エドワード」
じっと見つめてくる視線を感じて振り返れば、まっすぐに自分を見つめてくる漆黒の瞳と目が合った。
掴まれている手を引き寄せられると、ロイとの距離が縮まる。
唇に熱い吐息を感じて思わず目を閉じると、触れるだけのキスが落ちてきた。
「っ! 大佐」
エドワードがあわてて身体を離すと、ロイは苦笑しながら掴んでいた手を離してくれた。
「心配をかけてすまなかった」
もう一度、そう口にするロイを赤くなった顔で睨みつけながらエドワードはわざとぶっきらぼうに言った。
「でも、これからはちゃんと気をつけろよな!」
「わかった」
照れ隠しのはいったエドワードの言葉に、ロイは笑ってうなずいた。
end