バレンタインデーまであと何日?

「――あ、うん。そうそう」
 近くに置いてある椅子に寄りかかるようにしながら、金色の瞳に蜂蜜色の髪を三つ編みにした少年が電話をかけていた。
 電話をかけている少年。エドワード・エルリックは受話器の向こう側にいる相手に手短に用件を伝えていく。
「用件はそれだけ。うん……」
 今、エルリック兄弟がいるのは、とある田舎町。
 と、いってもそれほどド田舎ではない。かといって、さほど住んでいる人が多いわけでもない……そんな町の、一軒しかない宿屋に置いてある電話を借りてエドワードは東方司令部に電話をかけていたのだが――
「じゃあな大佐」
 そう言ってさっさと電話を切ろうとしたエドワードだったが、受話器のむこうから聞こえるどこか慌てた声がそれをさえぎった。
『あ、ちょっと待ってくれ鋼の!』
「ん?」
 待ったをかけてきたその声に、エドワードは電話を切りかけた手を止めて、もう一度受話器を耳に当てる。
「なに?」
 電話の相手。ロイ・マスタングは、電話が切られてしまわなかったことに内心ほっと胸を撫で下ろしながら、
『今度は、いつごろこっちに戻れそうだい?』
「んー……」
 そのロイの質問に、エドワードは顎に指を当てて考えこんだ。
 しばしの沈黙の後――
「山のむこうにある村に住んでるっていう人に会いに行きたいし……ちょっとしたウワサを聞いたからそれも確認したいし……あ、あれも調べたいから……んーと。来月ぐらい?」
『ら、来月って……二月にはいったばかりだぞ? もっと早く帰ってくることはできないのかい?』
 ロイの無理な要望に、エドワードはぷうっと頬をふくらませて言い返した。
「あのなぁ、オレだって忙しいの!!」
『そ、それはわかっているが……』
 エドワードにきっぱり、はっきり言い切られて、ロイがたじろぐのが受話器ごしに伝わってきた。
 エドワードは電話のむこうの相手に気付かれないようにそっとため息をつくと、しぶしぶ、といった感じで口を開いた。
「……ったく。なんで早く帰ってきてほしいんだよ? 一応、ワケぐらいは聞いてやる。――言っとくけど聞くだけだからな!」
 テレているのだろう――わざとそんな風に言うエドワードに、ロイは受話器を握り締めて破顔した。
『二月十四日といえば、何の日か知っているだろう?』
 心なしか弾んだ声で、そう言ってくる。
 そのロイのセリフにイヤ〜な予感をひしひしと感じながらも、エドワードはしかたなく答えてやった。
「……バレンタインデーだよな。……たしか」
 エドワードのイヤそうな様子には気づいていないのか、ロイは上機嫌でその後の言葉を続けた。
『バレンタインデーの日ぐらい、恋人と一緒に二人っきりですごしたいじゃないか』
「アンタ仕事はどうしたよ?」
 すかさず入ったエドワードの指摘に、すっかり仕事のことを失念していたロイは慌てて言いつくろった。
『も、もちろん仕事が終わってからの話だ!』
 はははっ。と笑ってごまかそうとする。
「ふーん……で?」
 そのごまかし笑いを無視して、エドワードは冷たく聞き返した。
『で?……とは?』
 エドワードの言いたいことが今ひとつわからなかったのか、きょとんとロイ。
「一体、オレになにしてほしいワケ?」
 感情を抑えた声で冷たくたずねるエドワード。
 一方。聞かれたほうのロイは嬉嬉として、
『それはもちろん。鋼のからのチョコレートがほしい……』
「誰がやるか、そんなモン!!」
 ロイがすべて言い終わる前に大声でそう怒鳴ると、エドワードは持っていた受話器を力任せに電話機へと叩きつけた。


 ガンッ!!
 ツー。ツー。
「鋼の……」
 大きな音とともに回線の切れた受話器を握り締めたまま、ロイは寂しそうに肩を落としてその場に立ちつくしたのだった……


「ふん!」
 乱暴に電話を切ったエドワードは、両腕を組んでぶすっと不機嫌そうに壁を睨みつけていた。乱暴な扱いを受けた哀れな電話は、その衝撃に耐え切れずに通話不能の状態に――はっきりいって壊れてしまった。
 そこへ――
 二階の客室の一室からエドワードの弟のアルフォンス出てきた。階段の手すりから身を乗り出して、下にいるエドワードに声をかけようとして、
「お待たせ兄さん……って、あ〜!!」
 電話のそばにいるエドワードと――そして、その兄の足元に散らばった電話の残骸に気がついて声を上げる。
「なにやってるの!」
 慌ててばたばたと階段を駆け下りてエドワードのそばまでくると、アルフォンスはしゃがみこんで電話の破片を拾い集めながら、
「あ〜あ。宿の電話こんなにしちゃって……」
「大佐がヘンなことを言い出すのが悪い!!」
「しょうがないなぁ、もう」
 ふん! と鼻を鳴らしてそっぽをむく兄に、弟はやれやれと肩をすくめると、チョークを取り出して壊れた電話を直すために錬成陣を描きはじめた。


 大勢の町の人でにぎわう商店街へと、エドワードとアルフォンスは買い物に出かけた。
「次はこれ?」
「それは、後でいいや」
 田舎町にしてはそこそこ店の数も多いこの商店街の通りには、昼ともなると多くの買い物客でにぎわっている。
 そんな人ごみの中を、二人は買い物メモと買ったばかりの商品が入った袋を手に歩きながら、
「あと足りない物は……っと」
 アルフォンスが手に持っているメモにさっと視線を走らせて買い忘れた物をチェックする。
「ねえ、ペンのインクってまだあった?」
「あっ! 忘れてた。えーっと、売ってそうな店は……」
 店を探してきょろきょろと通りを見渡す。アルフォンスもエドワードと同じようにきょろきょろと辺りを見回しながら、
「それにしても、二月に入ったからどこの店に行ってもバレンタインって感じだよね。お菓子売り場なんかバレンタイン用のチョコばっかりだし」
「そーだな……おっ、なあアル。ちょっとあの店見に行こうか?」
 通りに面したショーウィンドウに飾られた物に目をひかれたのか、エドワードが不意にそう言い出した。
「うん。いいよ」
 アルフォンスが返事をする前に、もう一人でさっさと歩き出してしまった兄の後をのんびりついていきながらアルフォンスは何気なく、
「そういえばさ、兄さんは買わなくていいの? チョコ」
 ごつん!!
 弟の突然のセリフに、エドワードは思わず覗き込んでいたショーウィンドウのガラスに額を激しくぶつけた。
「アル〜?!」
 思いっきり強打した額を片手でさすりながら、ものすごい形相で振り返る。
「えっ、だってさ。大佐ってそういうイベント好きそうじゃない?」
「…………理解のある弟を持って、オレは幸せだよ」
 アルフォンスのその言葉に、エドワードはなさけなさそうな顔でだくだくと涙を流した。
 ロイとエドワードとの関係は、本人たちが言ったわけでもないのに、いつのまにか、しっかりとアルフォンスにバレていた。
 他にも、ホークアイとハボックにもバレているようだ。
 三人いわく。はたで見ているとバレバレらしい。
(喜んでいいのやら、悲しんでいいのやら……)
 だくだくと泣いているエドワードをよそに、アルフォンスは気楽にたずねてきた。
「それでどうするの? チョコ。直接渡しに行くのはムリっぽいから、小包で送る?」
 ぴっと人差し指を立てながら兄のほうを見て、そこでアルフォンスの言葉が途切れた――エドワードがうつむいて、ふるふると肩を震わせていたからだ。
「……アル、お前まで……そうまでして買わせたいのか、オレに……」
 怒りのオーラを辺りにただよわせ、地を這うような低い声で、うなる。
「いや、あの。ボクは……その……」
 エドワードの様子にさすがにびびったのか、アルフォンスは言葉を濁しながら思わず後ろに数歩、後ずさった。
 エドワードは黙ったまま顔を上げると、おびえているアルフォンスを凄絶な眼差しで睨みつける。辺りの空気の温度が一℃ほど下がった気がしたのは、アルフォンスの気のせいだろうか?
 黙ったまま睨みつけてくる兄に、おそるおそる声をかける。
「あの……に、兄さん?」
 ぶちっ!
 エドワードは自分の頭のどこかで、何かがぶちキレた音を聞いた気がした。
「そうか、そういうつもりか! わかったよ、買えばいいんだろ、チョコを! ああ買うさ、買ってやるともさ!!」
 突然、両手をわななかせてそれだけ言い放つと、エドワードはくるりと踵を返した。
 他の客や通行人がなにごとかと道をあける。その開いた道をとおりぬけてエドワードは手近な場所にあった食料品店へと、どかどかと足音も荒く入っていった。
 アルフォンスはその場から動けずに、ただ呆然とエドワードの背中と、兄が入っていった店を眺めていた。


 ――そして、運命の二月十四日。
 東方司令部は、朝から別の意味で忙しかった。
 通常の業務に加えて、ロイ宛のチョコレートやプレゼントが届くので普段よりも忙しいのだ。
「大佐。女性からチョコレートが届いてます」
「ああ。いつもの所へまとめて置いておいてくれ」
 廊下を歩いていると、行く先々で部下にそう呼び止められ、そして同じ返事を返す。
 朝からこれの繰り返し。
「毎年の事とはいえ、朝からこうだと面倒だな……」
 こった肩を回しながら、ぼやく。
「大佐、仕事が滞っていますので書類のほうを……」
「わかっている」
 後ろを歩いてくるホークアイにそう言われて、うんざりした顔で執務室へとむかっていると、廊下の向こうからハボックが小走りで駆け寄ってきた。
「大佐。エドから小包が届いてますけど、どこに置いときます?」
 そのハボックの報告に、ロイの耳がぴくりと動いた。
 間髪をいれずに、
「執務室へ持ってきてくれ」
「わかりました」
 もと来た廊下を小走りで走り去っていくハボックの後姿を見送ってから、ロイは先ほどとはうってかわって、上機嫌で執務室のドアノブに手をかけた。


「…………小包?」
 執務室に運び込まれ、テーブルの上にでん。と置かれた物体を指差して、ロイは思わずハボックにそうたずねた。
「小包でしょう? 大包みだと言葉的におかしいですし」
 ハボックがそういって指差した代物は――なんというか――ロイが想像していたものよりもはるかに大きかった。
 ハボックが持ってきたエドワードから送られてきたその小包(?)は、大人が両手で大きな輪を作ったぐらいの大きさで、高さもほとんど同じのほぼ正方形の箱だった。よたよたしながらもハボックはなんとか一人で運んできたが、重さもかなりありそうだ。
 きっちりと閉められた蓋の隙間から、わずかに封筒の端が見えている。
「どうやら封筒のようですね」
「どれどれ」
 ホークアイに言われて封筒に気がついたロイが、箱からそれを抜き取って中を見てみると、中には一通の手紙が入っていた。
 そこにはこう書かれてあった――

『――大佐へ。
    アルと大佐がうるさいので、チョコを送ってやる。
    わざわざ送ってやったんだ、ちゃんと一人で全部食えよ!
――エドワード』


 前の電話の時にかなりエドワードを怒らせてしまったので、正直、彼からチョコレートをもらうことをあきらめていただけにかなり嬉しい。
「鋼の……」
 エドワードからの手紙を握り締めて、思わず幸せに浸るロイ。
 そんなロイに、ハボックが控えめに声をかけた。 
「大佐、箱開けますか?」
「ああ」
 手紙を机の上に置き、いそいそと箱の蓋を開ける。
 その箱の中には――
「こ、これは……」
「うっわ〜……こりゃスゲ〜ゃ」
「………………」
 ホークアイは思わず口ごもり、ハボックは半分呆れた声を上げる。ロイにいたっては言葉も出なかった。思わず目が点になる。
 箱の中には――板チョコが箱いっぱいに、びっしりと、隙間なく、詰まっていた。
「いったい、全部でどれぐらいの量があるんすかね」
「町中の板チョコを買い占めたって感じね……」
 感心してるのやら、呆れてるのやら……そんな他人事の二人をよそに、
「これを……一人で全部?」
 ぎっしりと詰まった、箱いっぱいの板チョコを指差して、ロイはうつろにつぶやいた。
「食べきるのに一体どれぐらいかかるのかしら」
「嫌がらせに近いっすね」
「と、いうより嫌がらせでしょ、これは。もしくは仕返し」
「仕返し? しつこく言われて怒ったってことっすか?」
「たぶんそうじゃないかしら」
 部下二人のそんな会話を背中で聞きながら、ロイはだくだく泣きながら箱の中から板チョコを一枚取り出すと包み紙を剥いてひとくちかじった。
「鋼の………」
 甘いはずのチョコレートが、なぜかしょっぱく感じられた。


end